命の水をもって

六月十五日 命の水をもって (二〇一二年六月 ひとしずく八三六)   私の母は、昔から忠実にそして愛を込めて、小さな畑の世話をしています。その母の姿から、私はいつも多くの大切なことを学んでいます。 母は、最近雨が降らないので、植えたばかりの作物のことを気にしていました。そして今朝は、私たちが知らない間に、4時半ころに一人起きて、脚が悪いというのに、畑まで2キロの道のりを手押し車を押して出かけて行ったのでした。ネギの苗に水をあげるためです。...

神を試みてはならない

六月十四日 神を試みてはならない (二〇一二年六月 ひとしずく八三五) あるアメリカの教会では、牧師が毒蛇に噛まれて死んだそうです。調べてみると、そこでは「スネークハンドル」というものが伝統的に行われていて、聖書の「毒を飲んでも死なない」「蛇をふみつける」といった主の約束に基づいて、信仰によって(?)毒蛇を皆の前で操るのだそうです。しかし、すでに百人もの信者が毒蛇に噛まれ命を落としているということでした。...

主よ、いつまでなのですか

六月九日 主よ、いつまでなのですか (二〇一四年6月 ひとしずく一五七一)   詩篇は、悩みと危機と闇の中にあっての叫びの祈りに満ちています。私は、どうして詩篇にこんなにも悶え苦しみ、苦悩の中で神に訴える声がいっぱいなのかと考えさせられたことがあります。  ...

天にあるものを求める

六月八日 天にあるものを求める (二〇一四6月 ひとしずく一五七〇)    「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。(創世記三章十九節)   ...

神の声か、悪魔の声か

六月七日 神の声か、悪魔の声か (二〇一四 ひとしずく一五六九)  ある友人から、何が神様からの声で、何が悪魔からの声なのか、どうやって区別がつくのか?という質問を尋ねられました。   確かに実際は、アニメなどであるように、悪魔の声は必ずしも恐ろしい地獄の響きをもって聞こえてくるというわけではありあせん。悪魔は...