その時こそ

その時こそ (2013年2月 ひとし ずく1089)単に、主の望まれることをするという時自分が好きだからとかやりたいからというのでもなく、ただ、それが主の御心だから主が喜ぶから人に仕えることだからするそうであるなら、自分のやってきたことの結果が人受けしなかったとしても関係のないことだと思う 主は分かって下さる理解して下さる主は、「おのれをむなしくして」仕えて下さった方だから主のために他の人のためにと思って一歩踏み出そうとする時その時に 自分を...

闇の中

11月17日 闇の中あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。(イザ ヤ50章10節)夜になると、わたしの家の近くには街灯ひとつないところがあります。月が出ていれば辺り一面見事な景色ですが、月の隠れた夜は、まさに真っ暗闇で す。引っ越して来たばかりの頃は、真っ暗闇のその場所を通るのがとても怖かったものです。何も見えないので、視覚によらず、別の感覚や記憶に頼ら...

証しの喜び

11月14日 証しの喜び (2011年11月) 証は、最高に素晴らしい体験だと思います。人が、愛の神様を見出し、ついに自分の探し求めていた光に出会えて涙を流して喜んでいるのを見ることほど、嬉しく、また報われるものは、地上には他にないのではないかと思います。...

油断することなく

油断することなく(ひとしずく635)  カエルを熱いお湯の中に入れると、すぐに飛び出ようとします。それは当たり前のことです。ところが、お湯の温度をゆっくり上げていくと、カエルはその温度の変化に気づかず、最後には煮えて死んでしまうのだそうです。...

勝利にのみ込まれた死

(二〇一一年十一月 ひとしずく六一九)  ある人達はこう言います。「イエス様は十字架上で殺され、地上での任務は 失敗に終わってしまった」と。 十字架刑は、罪人としての死を遂げるということですから、確かに十字架の 死は、敗北のように見えます。  しかし、イエス様の生涯から、その十字架の死を除いたら、私たちは主によって救われることも、また天国に行くこともできなくなってしまっ たことでしょう。 そして何よりも、イエス様の苦しみと死は、イエス様と私たちを、愛の絆によって一つに結ばせたのです。私たちがイエス様への敬慕の念を抱...