執筆者 Akashi | 4月 26, 2023 | 記事
四月二六日 練られる時 (二〇一四年九月 ひとしずく一六七三) 賀川豊彦は壁に耳を傾けると、そこから声が聞こえる、というようなことを語りました。確か獄中の体験からの言葉であったと思います。あれほど、神のために生き、人のために犠牲となって身を捧げた彼が、そのような状況に置かれたのです。 主イエスに従い、主の愛のいましめに従おうと、一歩を踏み出したのに、障害だらけ、というような事が起こる時があります。つい、そんな時、主はこれをごらんにならないのか??なぜ何もしてくださらないのだ?という不信の念に駆られる人は少なくないと思います。...
執筆者 Akashi | 4月 25, 2023 | 記事
四月二五日 二人の主人、神と富 (ひとしずく一一一九) 「スイスの神学者ジャン・カルヴァンは、そのヘブル人の預言者らについての注解において、神はその貧しき者と一体であり、 彼らの叫びは神の痛みを現していると述べている。」(「The Reason for God」...
執筆者 Akashi | 4月 24, 2023 | 記事
四月二四日 傲慢な神? (二〇一三年三月 ひとしずく一一一八)...
執筆者 Akashi | 4月 23, 2023 | 記事
四月二三日 主に信頼する (ひとしずく七七二)...
執筆者 Akashi | 4月 21, 2023 | 記事
四月二一日 因果応報 (ひとしずく七七〇) 「因果応報」という言葉があります。「よい行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがある。過去および前世の因業に応じて果報がある」という意味ですが、これは仏教用語だそうです。また「業(ごう)」という仏語もあります。「業」の意味も、過去の行為や成したことの結果という意味で、因果応報と同じような意味です。...