「あなたと話しているこのわたし」

「あなたと話しているこのわたし」 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 (ヨハネ8章31-32節) すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 (ローマ8章14-15節)...

神に会う備え

神に会う備え 時々、立ち止まること、現場から離れることは、普段見ていない、あるいは見えてないものを見る助けになります。しかし、せっかく現場から離れても、まだ心配事が思いを駆け巡っているなら、神様が示されたいことに目が開かれないということがよくあります。私たちはそれほども日常の環境が影響を与え、神よりは自分の周りのものに影響されて生きているということです。  なかなか立ち止まることができないと、神が立ち止まらせてくれますが、痛みを伴ってということがあります。...

わたしの羊飼い

私たちは、どうやって自らを清く保つことができるでのしょうか? この世に私たちは遣わされているということになっています。そしてこの世につかわされるのは狼の中の羊のようであると主は言われました。 わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。 (マタイ10章16節) この世は狼だらけだから、私たちも狼のようになりなさい、とは主は言われませんでした。羊としての大切な、素直に従う性質を失ってはいけないということです。はとのような素直さを失うべきではない。...

神を仰いで

神を仰いで あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。(ピリピ4章5節)...

主イエス・キリストにあって

ひとしずく831-主イエス・キリストにあって もし、冷たい理解のない視線が自分に当てられていることに気づいたら、感謝することにしよう。 主はいつも優しく慰めてくださるのだから。 「そんなこと気にしなくたっていい。私はあなたのしていることを理解している。さあ、全てのことを忘れて、横たわりなさい」と。もし主の存在を肉の目で捉えることができたら、きっと主は私を暖かく抱いて、包んでいてくださっていると思う。 そんな愛に包まれているのに、人の冷たい思いに自分の心が捕われてしまうなんて、おかしくなってしまう。...