霊のチューニング

五月十六日 霊のチューニング (二〇一二年五月 ひとしずく八二四)  静まる時間、主と波長を合わせるために立ち止まる時間を毎日のどこかで持つ事はとても益になることだと思います。 先日のバイブルクラスの際、いつもギターを弾いて賛美を導いてくれる兄弟が、その前にギターの弦一本づつを、丁寧にチューニングしていました。その熱心な姿に、私は彼の賛美を導くにあたっての忠実さを見たように思い、とても感動しました。  演奏のためのギターのチューニングはとても大切です。いくら今日完璧にチューニングをしても、次の日にはまたチューニン...

赦されるために

五月十三日 赦されるために (二〇一二年五月 ひとしずく八二一)   「神様に赦されるためには条件がある」 こう言うと、それではイエス様の深い愛、赦しの愛はどうなるのだ? イエス様の赦しはそのようなものではないはずだ・・・と言う人もいるかもしれません。  しかし、聖書を読むと、赦されるにはやはり条件があるのです。人を赦すという条件が。   もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。(マタイ六章十五節)...

悪魔の策略に対抗して立ちうるために

五月十二日 悪魔の策略に対抗して立ちうるために (二〇一二年五月 ひとしずく八一八)  これは、何十年も前に、友人から聞いた話です。 中国の西安の秦始皇帝陵の兵馬俑(へいばよう)坑を訪問した若者が、悪鬼に取り憑かれてしまいました。そこは現在、世界遺産にも登録されている有名な観光名所になっています。兵馬俑というのは、兵隊や軍馬、戦車などの模型のことで、秦始皇帝陵の3つの俑坑には戦車が100台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体近くあり、みな東を向いているそうです。...

光を灯して

五月七日 光を灯して (二〇一二年五月 ひとしずく八一一)  一昨日、那須から秋田に帰ってきました。お昼過ぎに那須を出たので、秋田の山道にさしかかった時には、もう真っ暗になっていました。他に通る車もなく、その道には全く街灯がありません。山のカーブ道が続き、ある所は片側が谷になっている所もあり、しかもガードレールもない部分もあるので、一歩間違えたら、それこそ命取りです。 この暗闇の危険な道で、唯一頼りになるのは車のヘッドライトです。その光が、道の中央線や路側帯のラインやガードレールを照らし出してくれ、行くべき道を導いてくれるのです。...

私たちの望みは主にあり

五月六日 私たちの望みは主にあり (二〇一二年五月 ひとしずく八一〇)  信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ 持たないでこの世を去って行く。(第一テモテ六章六、七節) これは先日聖書を読んでいて、改めて心に響いた言葉です。 一般的に、私たちのこの地上での煩いの大半は、物(お金)を持っていること、持っていないこと、あるいはもっと多くなる...