神は愛である

五月三〇日 神は愛である (二〇一三年 ひとしずく一二三二)  「神は愛である」(第一ヨハネ四章八節)。これは聖書に書かれている言葉です。クリスチャンであるなら誰もがよく知っており、また頻繁に引用する言葉でもあります。しかし、本当にこの意 味がわかるようになったのは、神が、実は、三つの人格(「位格」)を持っておられる方だとわかってからです。   もし神が聖書で言う父なる神お一人だけであるなら、愛は存在しないと思います。愛は、自分を与えることであり、その対象がいないなら意味を成...

祭りの日に

五月二二日 祭りの日に (二〇一四年 ひとしずく一五四七)  昨日の朝、東京に向けて村を出る時、何軒かの家の前にはお祭りのための飾りつけや、提灯 がつり下げられていました。過疎化が進んで、めっきり寂しくなったこの村で、どうにかして祭りぐらいは盛り上げたいという皆の気持ちが現れているように思えました。  「御神輿担がないか」と尋ねてきた村の人たちの三人に、私は断らなければなりませんでし た。冬には誰も神社の屋根の雪下ろしをする人がいなくて、危険を冒して雪下ろしをしましたが、その神社のお祭りに参加しないということ...

教会(エクレシア:呼び出された者たちの集まり)

五月二〇日 教会(エクレシア:呼び出された者たちの集まり)(二〇一二年五月 ひとしずく八二八)   兄弟姉妹に囲まれているって素晴らしい   食物を持ち寄り、共に食べて賛美して、 次はどこどこで集まろうかって話し合って、喜びを共にする 困っている人があれば、その人のために皆で祈る 主イエスを真ん中にして、みんなが集まる これこそ、教会だと思う   それぞれが、気づいたことを率先してやってくれる それが、みんなの集まる場所に花を生けることであれ トイレの掃除であれ、また食器の片付けであれ...

主に近づけますように

五月十七日 主に近づけますように (二〇一二年五月 ひとしずく八二二) 友人が祈りを求めてこう言いました。 「昨日は私の誕生日でした。私は主に近づきたいんです。私のために手を置いて祈ってくれますか?心を清めたいんです。」と。そしてそのために祈りました。...