「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)

五月二日 「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)(二〇一二年五月 ひとしずく八〇四)  ヨナは、ニネベの町が悔い改めなければ、その邪悪さのゆえに滅びてしまうという神様からのメッセージを託された預言者でした。しかし、ヨナは神様に不従順だったので、海で大きな魚に呑み込まれてしまうのでした。そして結局三日三晩、魚のお腹で過ごしたヨナは悔い改め、神に従う決心をして魚に陸に吐き出されることになるのです。...

主が共におられる

五月一日 主が共におられる (二〇一二年五月 ひとしずく七九九)  時々、試練の最中にあると、主は共にいてくださらないように感じることがありませんか? そして、主が共にいてくださるのなら、こんな災難や試練が起こるわけがないし、起こったとしてもすぐに助け出してくださるはずだと、不平と疑いを抱いてしまうことが・・・。 旧約聖書にあるヨセフの話はとても興味深いものです。 ヨセフは兄たちの怒りを買い、奴隷として売られてしまいます。そしてパロの役人で、侍従長のポティファルに買い取られます。(創世記...

ここに愛がある

四月二九日 ここに愛がある (二〇一二年四月 ひとしずく七九八) 罪で満ちて汚れ腐敗している全宇宙の中の闇に覆われたちっぽけな世界「そんなものなど放っておけいずれ人の世はもう終わりにするのだから」と神様に言われても仕方ないしかし、彼はそうは言われなかった神の愛の不思議はそんな闇の世に生まれてこられてちっぽけで利己的な私たちのために命を捧げてくださったことそして、私たちの内に今も生きておられ決して見捨てずに愛し続けておられること永遠に生きておられ全宇宙の創造者であられる神その偉大なる神が小さな者に愛を注がれる...

練られる時

四月二六日 練られる時 (二〇一四年九月 ひとしずく一六七三) 賀川豊彦は壁に耳を傾けると、そこから声が聞こえる、というようなことを語りました。確か獄中の体験からの言葉であったと思います。あれほど、神のために生き、人のために犠牲となって身を捧げた彼が、そのような状況に置かれたのです。  主イエスに従い、主の愛のいましめに従おうと、一歩を踏み出したのに、障害だらけ、というような事が起こる時があります。つい、そんな時、主はこれをごらんにならないのか??なぜ何もしてくださらないのだ?という不信の念に駆られる人は少なくないと思います。...