主への賛美

九月十九日 主への賛美 (二〇一四年 ひとしずく一六九七)  主は、私たちに、どんなに良くしてくださっているか、妻と車の中で話し合い、そして主を讃えました。  主は、私たちのために必要を供給し、事故から守り、その力を示し、最善の道に導き、主の子供である私たちの心の願いを叶えてくださいます。  そのような待遇を受けるに値しない私たちに、主は本当に良くしてくださいます。  主に従う者、主を慕う者に対して、 主がいかに憐れみ深く、また真理を明らかにしてくださることか・・・。  主の愛は、測り知れず、豊かで、永遠に続きます。ハレルヤ! ...

神は人を神の姿に造られた

九月十八日 神は人を神の姿に造られた (二〇一四年 ひとしずく一六九六)  「『神は人を神の姿に造られた』ということは、人を個性をもった存在とされたということだ」という記事を読んでいました。これは、つまり神様がそうであるように、人を、考え、感じ、選択し、決断し、行動に移し、他者との関係を持ち、また関係を築く存在とされたということです。...

作業終了!

 九月十七日 作業終了! (二〇一四年 ひとしずく一六九五)   ついに、台風がやってくる前に、私たちの村の墓地の隣りにあった廃屋の片付けが全て終了しました。  この長かった作業は、今、息子が出かけているので、母と娘のAと 私の三人で終えました。そして、今日は早々に引き上げて、リトリートの準備に集中しようと思っていました。が、母の徹底的に片付けようとするガッツには負けてしまいます。台風が近づいているということで、雨の降る前に、この仕事を終えておこうという気持ちが伝わってきます。 しかも彼女は何でもじっくり取り組むのです。...

この方によって・・・

 九月十六日 この方によって・・・ (二〇一四年 ひとしずく一六九三) 人生の意味と目的を探しているなら、 この方のことを深く知ることなしには、的を外したものになってしまうと私は思う。 この方は、御自分が造られた世界にやって来られ、権威をふるうことをせず、被造物の一つである人間の姿になられて地上を歩まれた。 人から捨てられ、嘲られながらも、なお愛のために生きられた。 彼は、その「御足の跡に踏み従うよう」私たちにその模範を示された。 それは、私たちの喜びが満ちあふれるための道。 この世が決して与えることのできないもの。...

主とゴールに集中して

九月十五日 主とゴールに集中して (二〇一四年 ひとしずく一六九四)  先月、娘のYは、自分で稼いだお金でテレビを購入しました。それほど大きなものではないのですが、一番安くて、そこそこのサイズのものです。  私は、テレビを購入することについて、懸念がありました。家族が集まる居間にいくといつもテレビがつけられているという状態では、家族のお互いの会話やコミュニケーションが損なわれてしまうと思うのです。一方的に話続ける見知らない人がわが家の居間に居続けて、こちらの気持ちなどおかまい無しです。―ハ。...

感謝を忘れずに

九月十四日 感謝を忘れずに (二〇一四年 ひとしずく一六九〇)  夕食後に、娘達と話していた時、ふと「これは地上の天国だな」と思いました。たわいないことを話していただけですが、彼らがいること、一緒に話しができること、仲良くして生活していること、これら全て、如何に感謝すべきことであるか、主が気づかせてくださったのです。普段、不満を持っているというわけではありません。かえって家族にはとても感謝しているのですが、一緒にいることが神様の特別な取り計らいだと、主から改めて示されたのです。そして、感謝せずにはいられませんでした。...