因果応報

四月二一日 因果応報 (ひとしずく七七〇) 「因果応報」という言葉があります。「よい行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがある。過去および前世の因業に応じて果報がある」という意味ですが、これは仏教用語だそうです。また「業(ごう)」という仏語もあります。「業」の意味も、過去の行為や成したことの結果という意味で、因果応報と同じような意味です。...

その慰めをもって

四月二十日 その慰めをもって (ひとしずく一一三二) 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。(第二コリント一章四~六節) この聖句は本当にその通りだと思います。...

真の神

四月十八日 真の神 (ひとしずく一五三五)...

反キリストの霊に立ち向かう

四月十七日 反キリストの霊に立ち向かう (二〇一三年 ひとしずく一一三〇) 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。(第二コリント四章四節) 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。(第一ヨハネ二章一八節)...

祈りの始めに

四月十六日 祈りの始めに (二〇一三年 ひとしずく一一二九)  弟子たちが、イエス様に、祈りを教えてくださいとお願いした時、イエス様が弟子たちに教えられた祈りの始まりは、「御名があがめられますように。御国が来ますように」ということでした。  この祈りから始めるということには、とても深い意味を感じます。  自分が高くされるためではなく、神様が高くされることが先ず最初に来るのです。 崇められるべきは、私の名前でも名誉でもないのです。主への賛美、何よりも高くされる方は、主であるこということです。...