キリストのゆえに過去も現在も未来も素晴らしい

イエス・キリストのゆえに、過去も現在も未来も素晴らしい 過去は変えられません。でも過去の出来事に対する見方を変えることはできます。今まで、過去に起こったあることを事実として認めていたとしても、それが神様の見解と異なるなら、それに固執していたいだろうか? 神の見解を受け入れるために、どれだけ長い間固執していた考えでも、捨てることができますように! 間違いだらけの古い過去も、主は一新にされました。 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いも のは過ぎ去った、...

小事に忠実な者

11月25日 小事に忠実な者 (ひとしずく1720)  何年も前のことですが、ある国のリーダーが、テレビを通して国民に呼びかけているのを見 ました。そのメッセージに、私はどうしても腑に落ちない思いを抱きました。  そのメッセージは、今は使い捨て時代なので、どんどん消費すべきだというものでした。  私は、非常に貧しく何でも節約する母の生き方を見ていましたから、 物は大切にすること、また壊れたら直して使うこと、というのが、心のどこかにインプットさ...

静けさの中で

11月24日 静けさの中で わたしは夜や、夜の明ける前に外を歩くのが好きです。 暗い外に出ると、それまでの忙しいモードを切り替える助けになります。冷たい外気も、疲れてほてった体を冷やす助けになり、静かに外を歩くと、心 を静める助けにもなります。 聖書の創世記1章5節には、「夕となり、また朝となった。第一日である」とあります。主が、夕方から朝までの間の暗い夜を造られた意図は何だったのでしょう?  電気による明るい夜に社会全体が慣れてしまって、今では夜でも働き続けて当たり前ですが、その反面、次のような「時」が一日から押...

最も小さい者のひとりに

11月23日 最も小さい者のひとりに (高原だよりより ひとしずく) 先日、娘の一人と散歩をしていると、林の中に黄色い実をみつけました。近所の人が「これは木苺で、食べられるのよ。おいしいわよ」と教えてくれました。 さっそく、わたしたちは摘み始めたのですが、そこはいつも会うおじいちゃんの林でした。勝手に木苺を摘むのも気が引けたので、おじいちゃん の家に、採ってもいいか尋ねに行くことにしました。...

全体像

全体像 (高原だより ひとしずくより) 子供たちがデッサンを近所の方から教えてもらっています。わたしも時々デッサンについて、その方からお話を聞くことがあるのですが、とても興味深いお話がありました。それは、絵を描く時には全体をひとつの塊として捉えることだということです。その方は言いました。「初心者はどうしてもあちこち、部分的な所をうまく描こうとして、その細部にこだわってしまうところがある。しかしそのこだわっている部分は、あくまでも全体の一部であっ て、その一部が全体の他の部分と良いバランスを保っているということが大切なんだ」と。...

備えの祈り

11月21日 備えの祈り イエス様は、将来どんなことが起こるか予知できたようです。向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさ い。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう。(マタイ21章 1、2節)  もし私たちが、イエス様のように、いろいろなことを予知できるのなら、どれだけ物事が容易になるだろうかと思いました。イエス様はただ予知された...