イエス・キリストの生涯-67
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
4) 復活の経緯 <iv>
2) 他の女性たちへ(マタイ28章9-10節): マリヤへの出現に続いて、主はすでに天使たちから使徒たちに戻って報告するように指示されていた他の女性たちにも現れました(マタイ28章9-10節; そして、この出現は、彼らが天使の指示に従った後に起こったようです:参照. マタイ28章8節と共にルカ24章11節)。主の二度目の復活の出現が、イエスが死んでいたにもかかわらず墓に来たこの女性たちだけになされたことは重要であり、彼女たちの愛と希望と信仰の表れです。一方、彼女たちが報告した弟子たちは、彼女たちの言葉を「愚かな話」(ルカ24章11節;すでに墓に駆けつけていたペテロとヨハネを除く)と思ったのですが、この二度目の出現において、主は女性たちに、ガリラヤの指定された場所で彼に会うようにという天使からの指示を弟子たちに再度伝えるよう命じられたのです。(マタイ28章10節;マタイ28章7節;マルコ16章7節参照)。
3) ペテロに(ルカ24章34節; 第一コリント15章5節): 女性たちから天使たちがイエスの復活について告げたことを聞いた時、他の弟子たちには「愚かなことのように」思いました。しかし、ペテロとヨハネは、マリヤが「墓が空っぽです」と宣言するのを聞くや否や、空の墓に駆けつけました(ヨハネ20章3-10節)[1]。ヨハネはペテロより先に走りましたが、ペテロは大胆にも真実を知ろうとして墓に入り、主の埋葬衣を目の当たりにしました。その後、ヨハネも墓に入り、二人は「それぞれの家に向かって行った」のです(ヨハネ20章10節)。 主がペテロに現れたのは、おそらくこの時か、家に着いてからでしょう(第一コリント15章5節とルカ24章34節を比較参照)。主を最も明白に否定したペテロが、十一人の弟子の中で最初に信仰と希望を取り戻した(それに次いでヨハネ)ことは重要であり、これが誰よりも先に主が<ペテロに>現れた理由なのです(第一コリント15章4-5節参照)。
4) エマオへの道を行く二人に(ルカ24章13-32節): クレオパ、おそらくクロパと思われる者、どちらにしてもほとんど何もわかっていない人物(上記参照)と、もう一人(おそらく十一人のうちの一人ではない:ルカ24章36節-参照)は同じ日にエマオの村に向かう旅の途中で、復活した主と出会いました。しかし、主は彼らにご自分の正体を意図的に隠されました。私たちにこの情報が与えられたのは、何年も宣教に加わっていた多くの女性たち(ルカ24章22-24節参照)の詳細で力強い証言にもかかわらず、男性信徒全員がまだ懐疑的な状態であることを示すためでした。復活を直接経験しない限り、彼らは信じることに消極的でした。疑い続ける彼らに対する主の答えは、それを愚かで心の鈍いことだと言い(ルカ24章25節)、聖書から、キリストの受難と復活の必要性について、十字架につけられる前に主が繰り返しなさったことを、彼らに教えられました(ルカ24章26-27節)。 その後、パンを裂きながらイエスであることを明かし、姿を消します(ルカ24章30-32節)。そして、最終的に彼らは、自分の目で見たものについては信じるようになります。
[1] ルカは、マリヤの報告を他の女性(ルカ24章9-12節)の報告と一緒にまとめて要約していますが、ルカの記述が、マリヤの最初の(空の墓についてだけの)報告の後に、ヨハネとペテロが立ち去り、後で他の女性が残りの弟子たちに報告した流れを打ち消すわけではありません。
<-68に続く>