イエス・キリストの生涯-46
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
キリストの七つの裁判<iii>:
(6)わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった。(7)しかし主なる神はわたしを助けられる。それゆえ、わたしは恥じることがなかった。それゆえ、わたしは顔を火打石のようにした。わたしは決してはずかしめられないことを知る。(イザヤ50章6-7節)
わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ[あなたはそんなにも]遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれ[ず、答えられ]ないのですか。(詩篇 22篇1節)
(6)しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。(7)すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、(8)「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。(マタイ27章39-43節; マルコ15章27-32節; ルカ23章35-37節参照)(9)しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。(10)わたしは生れた時から(すなわち、生まれた直後から)、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた[わたしが胎から出た時から]、あなたはわたしの神でいらせられました。(11)わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。(12)多くの雄牛[のように、彼ら]はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛[のように、彼ら]はわたしを囲み、(13)かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。(14)わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。(15)わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌は[渇きで]あごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。(16)まことに、犬[のように彼ら]はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。(17)わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。(18)彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。(19)しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。(20)わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを[これらの]犬[たち]の力から助け出してください。(21)わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。(詩篇22篇6-21節)
わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえもわたしにそむいてくびすをあげた。(詩篇 41篇9節)
(12)わたしをののしる者は敵ではありません。もしそうであるならば忍ぶことができます。わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。もしそうであるならば身を隠して彼を避けることができます。(13)しかしそれはあなたです、わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友です。(14)われらはたがいに楽しく語らい、つれだって神の宮に上りました。 (詩篇55篇12-14節)
彼らはわたしの食物に毒を入れ、わたしのかわいた時に酢を飲ませました。(詩篇69篇21節)(参照:19-21節; マタイ27章34節, 27章48節; マルコ15章23節, 15章36節; ルカ23章36節; ヨハネ19章29節)
主よ、あなたのしもべがうけるはずかしめをみこころにとめてください。主よ、あなたのもろもろの敵はわたしをそしり、あなたの油そそがれた者の足跡をそしります。わたしはもろもろの民のそしりをわたしのふところにいだいているのです。(詩篇89篇51節)
家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。(詩篇118篇22節)
敵はわれわれを攻め囲み、つえをもってイスラエルのつかさのほおを撃つ。 (ミカ 5章1節後半)
殴打、つば吐き、あざけり、うそつき、ののしり、裏切り、拒絶、その他主が耐えなければならなかったすべてのことに加えて、主が十字架につけられたことは(石打ちの刑や斬首の刑とは違って)、特に苦痛の伴う処刑であったことに加えて、主の屈辱の一部でもあったことに注意すべきです。 というのも、このような死に方には、ある種の恥が伴うからです(ヘブル12章2節参照)。
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。(第二コリント5章21節)
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