イエス・キリストの生涯-34
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
2) イエス・キリストの教えるミニストリー<iv>
c)方法と応答<ii>:
私たちの主がそのユニークなミニストリーを行う際に採用された具体的な手順についても、少し述べておく必要があります。 マタイ4章12節をマタイ4章18-20節、マタイ9章9節と比較してみてください。 1)主によって選ばれた十二人(マタイ4章18-22節; マルコ1章16-20節; ルカ5章2-11節, 6章12-16節; ヨハネ1章35-42節)、2)主によって選ばれた七十二人(ルカ10章1節-)、3)ある程度の一貫性と献身をもって主に従うように「召された」その他の真剣な決心をした信者たち(マタイ8章18-22節; ルカ9章57-62節; マタイ5章1節参照)。これらの人々は、公式の側近ではなく、その日その日、主の話を聞き、主の奇跡の恩恵を受けようと集まった群衆とは区別されます。 弟子たちを持つことは、預言者にとって前例のないことではありません(ヨハネ:マタイ9章14節; エリヤ:列王記下2章参照)。 しかし、12人(マタイ10章1節-)や72人(ルカ10章1節-)の派遣のように、最も側近の二つのグループが選ばれた理由の一端が宣教に関係していたことは確かですが、主がこれらすべての人物を選ばれたのは、(ご自身のために運営や後方支援を提供するためというよりは、むしろ、)彼らのためであり、後の教会全体のためでもありました。 簡単に言えば、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、そして名ある者もない者も、主との密接な関わりから大きな恩恵を受け(彼らは、そうあるべきというほどではありませんでしたが、私たちがそうするよりは間違いなくそうでした)、主に常に付き添い、主のすべての言葉を聞き、主のすべての行いを観察することを通して、数年後に自分たちが担うことになる使徒的な務めのために準備されていたのです。 教会はイエス・キリストという岩の上に建てられており(マタイ16章18節)、イエス・キリストは、旧約聖書の預言者たちと共に、礎石を受け入れ、イエス・キリストの教会の土台の残りの部分を提供した12使徒とこれら初期の「柱」を個人的に訓練されたのです[1]。
(19)そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。(20)またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。(21)このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、(22)そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。(エペソ2章19-22節)
使徒たちもそうであったように、ユダヤとガリラヤ中の会堂は、来たるべき神の国と、ご自身を信じる信仰によってすべての人に与えられる救いの福音を、主が広めるための重要な場でした(マタイ4章23節, 9章35節, 12章9節, 13章54節; マルコ1章21節, 1章39節, 3章1節, 6章2節; ルカ4章15節, 4章44節, 6章6節, 13章10節; ヨハネ6章59節)。 このような「集まる場所」(ギリシャ語の意味)はすべての主要な共同体にあり、現代の多くの教会や教派とは対照的に、神の民(パリサイ人、サドカイ人、エッセネ人など、もちろん当時もユダヤ人と異邦人の区別はありましたが)の間に区別はなかったので、エルサレムでの主要な集団集会で必要であったのと同様に、このような正式な地域集会でもメッセージを広めることが不可欠でした。イエスの時代に生きていた者は、裁きの時に「しかし、私は知りませんでした」と言うことができないからです。現代のユダヤ教の習慣とは対照的に、またほとんどすべてのキリスト教会の習慣とも大きく異なって、イエスの時代の会堂は、安息日に二度(そして多くの場合、一週間に少なくとも一度)集まる習慣のあるイスラエルの地域団体にとって、正式な教えや説教以外の(律法と預言書を定期的に読むことは別として)、演説する絶好の機会を提供していました。シェーラーSchürerが述べているように、「不思議なことに、(イエスの時代の会堂では)礼拝を執り行うために指名された人はいませんでした。聖書の朗読、説教、そして公の祈りは、まだ会衆自身によって執り行われていたのです。その理由で、イエスは(そしてパウロも)様々な会堂で話すことができたのです…」[2] このように、現代とは異なり、私たちの主や後の使徒たちは、会衆の支配者や長老たちによる事前の根回しなしに、少なくとも真理の最初のプレゼンテーションを行うことが可能でした。ですから、聞いた後、そのメッセージが拒絶されることはあり得ましたが(そしてそれはよくあることですが)、知らされていなかったと主張することはできませんでした。
(15)イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。(16)それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。(17)すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、(18)「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、(19)主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。(20)イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。(21)そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。(ルカ4章15-21節)
もちろん、私たちの主はあらゆる点でユニークな方でしたが、そのユニークな働きのために、会堂という正式な集まりの外で聴衆を集める方法の一つは、奇跡を行うことでした。 イエスの死者を生き返らすこと、ハンセン病の治癒、あらゆる悪霊の追い出し、盲人の視力回復、パンと魚の増殖、水のぶどう酒への変えることなど、イエスのなさったすべての不思議についてもしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収め切れないでしょう(ヨハネ21章25節)! しかし、このような例外的な奇跡を行うことは、イエスにとって問題でした。イエスはご自身の栄光ではなく、イエスを遣わされた方の栄光を求めておられたからです(ヨハネ7章18節, 8章50節; 8章54節)。イエスは、ご自分への注目を集めるために奇跡を行ったのではなく、ただ神の御言葉に耳を傾けさせるために奇跡を行い、あなたや私がそのような素晴らしい賜物を持っていたとしたら、そのような賜物に付きまとうかもしれない傲慢さや高慢さを、その完全さゆえに一切持ちませんでした。ですから、癒しなどの奇跡的なわざを成し遂げられたのは、御父のご計画を推し進めるためであり、御自身に託された御国のメッセージに権威を与えるためでした(マタイ13章58節; マルコ1章39節)。 それゆえ、このような劇的な出来事に必然的に伴う名声と熱狂には、大きなマイナス面も潜在していました(奇跡によって増えたパンと魚を食べた人々が、力ずくでイエスを王にしようとした時のように: ヨハネ6章15節)そのため、主は奇跡の受益者たちに、主が行われた不思議を世間に広めてはならないと何度も指示されたのです。それでも、主が最後の過越の祭りの前にエルサレムに入られたときの「ホサナ!」という大声と、その数日後の「十字架につけろ!」という轟きとの対照を見れば、私たちは、評判を得ることによる熱狂の真価を十分に理解することができます。私たちの主はこのことをよく理解しておられました(ヨハネ2章25節参照)。そして神のみ言葉を宣べ伝えるすべての人にとって、ここから学ぶべき教訓が確かにあります:大切なのは、心に受け取る御言葉だということです。どんなに熱心であっても、表面的な反応は朝もやのようにはかないものです。
[1] ユダの真の後任者であるパウロは、もちろんこの点で、最も顕著な例外です。彼は、私たちの主について非常に詳細な啓示を受けました(使徒行伝9章1-22節; 22章3-21節; 26章9-23節)。主から直接指導を受けること無しに、これらの偉大な信徒たちさえも凌ぐ彼の勤勉さと献身は、生ける御言葉、救い主イエス・キリストの思いそのものである、書かれた御言葉に注意を向けることによって、どれほどのことが成し遂げられるかを知って、私たちは勇気づけられるはずです(1コリント2章16節 )。
[2] The History of Jewish People in the Age of Jesus Christ2nd (Edinburgh 1973) v. II, pp.
<-35に続く>