神のしもべ

神のしもべ

イエス・キリストの名前-b-xv

聖書の基本4A-26

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

                26) 神のしもべ:  私たちの主のこの称号は、神が私たちに抱いておられる愛の高さ、深さ、広さを示しています。それは、栄光を持たない純粋な人間としてこの世に来られ、この世の涙を飲み干し、私たちの代わりに苦しみを受け、私たちが死なずに主と共に永遠に生きることができるように、十字架上で私たちのために死なれた主の姿に焦点を当てているからです(イザヤ49章3-11節, 52章13節-53章12節; ローマ15章8-9節)。

キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも[私たち皆のための]十字架の死に至るまで従順であられた。 (ピリピ2章5-8節)

(1)わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。(2)彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、(3)また傷ついた葦を折ることなく(すなわち、心の弱い者を憐れんでくださる)、ほのぐらい灯心を消すことなく(すなわち、信仰の弱い者を励ましてくださる)、真実をもって道をしめす。(4)彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。(5)天を創造してこれをのべ、地とそれに生ずるものをひらき、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を与えられる主なる神はこう言われる、(6)「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、(7)盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる(すなわち、肉体的、霊的な贖い)。(イザヤ42章1-7節)

<-27に続く>

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