発見-2
主は、私たちを見つけ出してくださる方です。そしてどこに連れて行って下さるかというと、神との交わりの中に、つれて行って下さるのです。真理を探し求め、義に飢え渇く者、神への愛を持っている者は、主にとっては宝、あるいは真珠のような存在で、そのような者を探して歩かれるのです。
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。 また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。 それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 (マタイ13章44-50節)
主がついに、そうした魂を見つけた時、すべての代価を支払ってでも、それを買い求められる方です。そして主はそうするために、自分の命をかけられました。すべてを捨てでも、御自分のものとされたかったからです。この真実の愛は主の十字架の犠牲の愛で、証明されました。
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。(第一ヨハネ4章9節)
上記聖句の後半の部分は、良い魚は器に、悪いものは外に捨てる、とあります。他の箇所では、麦と毒麦のたとえがありますが、主は良いものを見出して、良いものは取っておかれるけれども、悪いものは捨てる、焼かれるとあります。今はそうした時期でもあると思います。つまり主にとって収穫の時期が迫っているのです。
つまり、終わりの時です。終わりの時に関して、イエス様がまず警告されたのは、人に惑わされないように、という言葉にあるように、主イエスの愛を否定することです。神の御子イエスが肉体をとってこられて、犠牲を払われたのは、私たちがそれ以外に救いの道がなかったからです。
あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。 (第一ヨハネ4章2-3節)