死ぬる日は生るる日にまさる

死ぬる日は生るる日にまさる(伝道の書7章1節)

私たちの村に何度も、ボランティアのために足を運んでくれた学生だった男の子が、癌で先日亡くなったという知らせを聞きました。息子の尊い友人でした。

良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。

悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。

死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。

 悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。 賢い者の戒めを聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。 愚かな者の笑いはかまの下に燃えるいばらの音のようである。これもまた空である。

…「昔が今よりもよかったのはなぜか」と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。 (伝道の書7章1-10節)

艱難期、あるいは再臨を待つことなく、死が先に私たちを迎えに来ることは、誰にでも起こりうることです。聖書には、けたたましい笑い声のあふれた宴会よりも、弔いの場にいることの方が、まさるとありますが、それは、自分の人生を各自が省みるチャンスとなるからです。

 目に見えるものは、自分の前から消えてなくなる時がくる。自分自身も、この世から取り去られる時がかならず来る。

 何のために生きるか、自分の人生は、本当に価値あるものに注がれてきたか、周りの人がこの地上から立ち去る時こそ、ついに立ち止まって、真剣に、この重要なテーマに向かい合う時です。

 

 「死ぬる日は生るる日にまさる。」 「『昔が今よりもよかったのはなぜか』と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。」とありますが、人の一生も、また時代の流れも、多くの日を経て、神様の愛と忍耐、訓練、諭しの詰まったものです。そこから汲み取ることのできる神様からの教訓があり、また神様のされたことを想うことができます。人生であれ、国であれ、そこから私たちは、学ぶことがたくさんあります。そして整えられた心と思いをもって神様のところに帰るのです。

 いつお呼び出しがきても良いような生き方が、できますように。

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