すべての道で主を認める

すべての道で主を認める

今日、遠くからやって来る兄弟姉妹がいます。

こうした土砂が家の前に積み上げられた状態で、迎えることになった聖徒たちとの交わりは、予想も期待もしていませんでしたが、神は御存知です。

私たちは、遠くまで予測がつきませんが、主は守り、災いのように見える中でも、守り、励ましを与え、御心を成し遂げて下さいます。感謝です。

もし、私たちが全てを計画するのだったら、こうしたタイミングでは、決してこのようなアレンジはしなかったと思います。しかし、神様には、良い理由があってなして下さっています。

私たちは、早まって、結論づけるべきではないとわかります。私たちは、主のなしておられることに、心を向ける必要があるのです。

すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。 (箴言 3章6節)

主がなさろうとしておられることがなされますように。主はすべてのことを知っておられます。私は全てを知っている必要はありません。ただ、今日主につながっていて、御心を行うことです。

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。御心が天になされるように、地にもなされますように。

そして、悪しき者がやってきて、私たちの思いを恐れや穢れた思いで汚すことをさせないように、悪しき者の試みからお守りください。私たちの口の言葉と心の思いがあなたの御前に喜ばれるものとなりますように。また周りの人や状況のために祈る人となれますように。他の人の過ちをゆるしますから、私の過ちもお赦し下さい。

今朝、使徒行伝1章を読んでいました。イエス様が地上を去られる前に、弟子たちに告げられた重要なことは、聖霊の約束を待つことでした。聖霊によってイエスの証が力強くなされることを告げられました。

そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。 (使徒行伝 1章4-5節)

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 (使徒行伝1章8節)

それに対して、ペテロの、昔からのしきたり、というかくじ引きで、十二使徒の欠員(裏切ったユダの場所)を補おうとしたことも1章に記されています(使徒行伝1章15-26節)。神様ご自身があとでパウロを選ばれることになります(使徒行伝9章15節, ローマ1章1節)。はじめペテロの説得は皆に良いものと思われますが、聖霊による決断ではなかったことが明らかです。

私たちの思いではなく、主の御心がなされますように! 私たちの場所においても、また一人ひとりの人生においても、主の最善がなされますように! 日々、私たちを教え諭そうとしてくださっている主の御心がなされますように!

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