慰めに満ちた神…
…主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。 (ヘブル13章5節)
見よ、神に戒められる人はさいわいだ。それゆえ全能者の懲しめを軽んじてはならない。 彼は傷つけ、また包み、撃ち、またその手をもっていやされる。 (ヨブ記 5:17-18)
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 (イザヤ書 53:5)
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 (第一コリント10章13節)
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。(ヘブル12章5-6節)
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 (ヘブル 12章11節)
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。(詩篇 23篇4節)
あなたの約束はわたしを生かすので、わが悩みの時の慰めです。
(詩篇 119篇50節)
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。 だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。 (第二コリント1章3-7節)