荒らすもの
近所の人が、イノシシの被害を受けたということを聞きました。せっかく耕し、草を取り、水をやって育てているものを夜にやってきてほじくるのです。
聖書には、この世界に荒らす憎むべきものが現れ、大艱難期というものを通過することになっていると記されています。主は、こうした身の回りで起こることを通して、地上のものというのは過ぎ去ろうとしていて、それに対して心を備えた方がよいと示唆してくださっているのかもしれません。
身の回りの災いを通して、私たちは主を仰ぎ見るしかありません。話を聞いて、さて電柵をと思いますが、術後の私を妻が止めて(くれ)ます。うちの畑の世話を一番が生懸命しているのは、娘なので、これが荒らされたら、どんなに悲しい思いをするかを知っているので、何とかしたい、けれども自分には十分な力がない…。主に頼るしかありません。
最近、次の伝道の旅について、祈りましたか、タイミングを主から聞いたんですかと尋ねられました。私には、いくつかのことで、行く理由があったのですが、でも、状況は変わります。自分の判断で、行こうとしていたことに気づかされ、もっと主に聞くこと、祈りで浸すことを諭されました。私にこう言ってくださった方の言葉も愛からなので、私は、本当に恵まれていると思います。
私たちを保護できる力は、主しかありません。御霊に導かれていないなら、実りのないものとなります。主の御心で動いていないなら、的外しとなります。御霊だけです。主が働かれますように。御心がなされますように。
今、私の計画していたことを変えなければならないとしても、それが御心であれば、より良いことのための主の手入れであって、喜ばしいものに違いありません。
そして一つ一つが将来の艱難期にあっても守られ、主の翼の下に留まることの訓練となると信じます。今日も御心がなされますように。
この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない。ユダおよびエルサレムよ、あなたがたは進み出て立ち、あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい。恐れてはならない。おののいてはならない。あす、彼らの所に攻めて行きなさい。主はあなたがたと共におられるからである』」。(歴代誌下 20章17節)
すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 (ゼカリヤ 4章6節)