ひとしずく835–神を試みてはならない
あ るアメリカの教会では、牧師が毒蛇に噛まれて死んだそうです。調べてみると、そこでは「スネークハンドル」というものが伝統的に行われて いて、聖書の「毒 を飲んでも死なない」「蛇をふみつける」といった主の約束に基づいて、信仰によって(?)毒蛇を皆の前で操るのだそうです。しかし、すで に百人もの信者が 毒蛇に噛まれ命を落としているということでした。
この話は息子が教えて くれたのですが、息子は「これって、悪魔がイエス様を誘惑したのと同じゃない?」と言っていました。聖書を見ると、悪魔は次のようにイエ ス様を誘惑しています。
「もしあなたが神の子で あるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼ら はあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」(マタイ4:6)
なるほど、確かに息子の言う通りだと私も思いました。
悪魔はそういうふうに私たちを誘惑してくる時があります。「もし、神の言う言葉が真理であるなら、それを証明したらどう だ?」と。一見、それ を証明することは信仰が試されているかのように思うことがあるかもしれません。しかし、やはりその誘惑に答えるというのは、信仰とは違う ものだと思いま す。
神様は、どうして悪魔のこういった挑戦を受けることがあるでしょうか?神様は、すでに悪魔の企みを ご存知であり、その悪魔の誘惑にまんまと乗せられることなどありません。悪魔に誘惑を受けたイエス様は、聖書の言葉を引用して、悪魔にこ う言い返しました。
「主なるあなたの神を試 みてはならない」(マタイ4:7)
イエス様は常に父なる神のご意思を尊重され、敬 い、従順を守られました。
「よくよくあなたがたに 言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおり にするのである」(マタイ5:19)
イ エス様は多くの奇跡を行われましたが、それは父なる神様の御意志にかなったことをされたからでした。決して自分の神の子としての権威を 使って、自分の力を 見せつけるためでも、また自分の良しと思われることを気ままに行うためでもありませんでした。そこには、父なる神への絶対的信頼がありま した。神様は、愛 であられ善であられるということに対する信頼が。そして何よりイエス様は、神の御意志でないことは、自分は何一つできないということをよ く御存知でした。
私たちも同じように、そんなプライドを試されるような、悪魔の誘惑にまんまと乗ることのないよう気をつけなければならないの だと思います。
「神を試みてはならな い」この言葉をもって、悪魔の誘惑に打ち勝ち、神の栄光を現すことに、思いを留めていることができますように。
どんな時でも神様に信 頼し、賛美するという態度こそ、神様の存在の大いなる証拠の一つであり、奇跡の一つとなるのではないでしょうか。