ひとしずく1557-誰 の声に従うのか?
ある人が、クリスチャンではない 友人たちに自分の悩みを相談し、その友人たちの言う通りに行動した結果、その結果が結局自分の望んだこととは反対のことが起ってしまった ことを非常に悔やんでいました。自分はそうは思っていなかったのに、友人たち皆が口をそろえて同じ事を言うので、自分もいつしか彼らと同 じ気持ちになってしまっていたということでした。今思えば、その決断は主の見方、やり方ではないし、自分の本心でもなかったと、寂しそう に言っていま した。
私たちはよく、神を恐れるよりも 人を恐れ、人の意見、それも多数の意見を気にします。しかし、それでは神の御心を果たせないばかりか、神を悲しませてしまうことになりま す。何よりも、自分にとっても取り返しのつかない悲しい結果を招いてしまうこともあります。
聖書の次の場面が思い浮かびま す。ソロモン王がなくなり、息子のレハベアムが王位につこうとする時の場面です。レハベアムのもとには、イスラエルの会衆がやってきて、 次のように言いました。
「父上はわれわれのくびきを重くされましたが、今父上のきびしい使役と、父上がわれわれに 負わせられた重いくびきとを軽くしてください。そうすればわれわれはあなたに仕えます」 (列王記上12:4)
レハベアムは彼らに、三日後に来るように伝えると、まずは、父ソロモンの存命中ソロモンに 仕えた老人たちに相談します。すると老人たちは、イス ラエルの会衆の申し入れ通りにするよう勧めます。しかし、レハベアムは、自分と一緒に大きくなって、自分に仕えている若者たちにも相談し ます。すると若者たちは、レハベアムに、会衆の申し入れに対し厳しい態度で、さらに彼らのくびきを重くし、さらに苦しめてやると言うよう 勧め、結局レハベアムは三日後に答えを求めに来たイスラエルの会衆に、その若者たちの進言をそのまま、荒々しく伝えたのでした。その結 果、どうなったかというと、レハべアムはその民を失 い、イスラエルは南北二つに分裂してしまったのでした。(列王記上12章)
誰の声に従うのか?これはとても大切なことです。レハベアムは、老人たちの意見ではなく、 自分の仲良くしている若者たちの意見を聞き入れてしま いました。老人が正しく若者が間違っているというわけではありませんが、レハべアムの一番の罪は、神を認めず、神の御心を求めなかったこ とです。そしてもともと、レハベアムの心には、傲慢と神と人を愛するという心に欠けていました。もし、真に神の見解を求めていたら、安易 に身近な人の意見をあてにし、それに従うということもなかったことでしょう。そして取り返しのつかない結果を招いてしまいました。これは 私たちも気をつけていないと、有り得る失敗ではないでしょうか。
私たちは信仰によって歩んでいるつもりでも、神の御言葉よりも、すぐに人の意見やこの世の 知識、常識に頼ってしまうところがあります。しかし、 まずは神の御許に行くことです。そして、神の見解や導きを尋ねることです。多くの人が自分にそうしたらいい、ああするべきだ、と主張しよ うとも、神様が望まれていないことをするのは罪です。どうか、私たちが 全てのことについて、人を恐れたり、人の意見を気にするするかわりに、主の御声に耳を傾け、それに従うことができますように。
「あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めた ことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。」(ローマ14:22)
「しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によ らないことは、罪である。」(ローマ14:23)