恵み

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2024年2月7日

恵み (2013年2月 ひとしずく1080)

「恵」という漢字の、成り立ちをインターネットで調べていたら、こうありまし た。

「心棒に宝物である絹糸が沢山ついている情景を表していて、それを多くの人に分 け与える心を意味しているそうです。日常の生活中で、笑顔や優しい言葉などを恵むことによって、やがてそれが自分に帰ってきていろんな良いこ とに恵まれるという意味があるそうです。」
「恵」は、私たちイエス様に救い出された者たちにとっては、とても深い意味を持っていると思います。この「恵」の字を考えていた時、私には、 こんな漢字の造りが見えてきました。 「心」のフィールド(「田」)である「思」の上に立つ十字架(「十」)。 私たちが罪赦され救われたのは、神の御子イエス・キリストが十字架上で命の代価を支払ってくださったからです。つまり神様の恵みによるので す。 私たちの今あるのは、この御子イエス様が命をかけて愛して下さったゆえであり、十字架はその愛の象徴、神の恵みの象徴なのです。 誰が何を言おうと、また自分が自分のことを見て落胆してしまいたくなろうと、神様がそんな私のために命をかけて愛して下さったこと、そし て今もなお、その同じ愛で愛し続けていて下さっていることを忘れてはならないと思います。それは自分が立派だからでも正しいからでもなく、た だ神様のその 無条件の深い愛ゆえなのです。 これは、いつも心の真ん中にあるべき一番大切な真実ではないかと思います。

パ ウロは、宣教師、また使徒として色々な人々のところに遣わされましたが、彼は、心の中に留めておくべき何よりも大切なこととして、イエス様の 十字架のこと を言っています。それは、他のどんなことよりも、十字架に表わされた神様の愛をわかってほしかったからではないでしょうか。

私 たちは神様に愛されるために、自分の価値を立証しようとしなくて良いのです。神様は私たちが何をするかしないかに関係なく、またどんな者であ るかにも関係 なく、私たちを創られた時から、価値ある存在と見なして下さっているのです。それゆえに、イエス様は私たちのために命を捨てて下さったので す。

 ただ、一方的に神様から与え続ける愛・・・。

私 たちはこの尊い「恵み」に預かって生きているのです。
「兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら、わ たしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。わたしが あなたがたの 所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証 明によったの である。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。」(第二コリント2:1-5)
「神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にある もの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるとこ ろのない者として、みまえに立たせて下さったのである。」(コロサイ1:19-22
「あ なたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのでは ない。それは、だれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られ たのである。 神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」(エペソ2:8,9)

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