被災地でのクリスマス活動報告

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2024年1月24日

被災地でのクリスマス活動報告 パート4(2011年クリスマス ひとしずく674)

これは、今回の被災地訪問のスタッフメンバーとして、一緒に宮城県の仮設住宅をクリスマスプレゼントを届けに回ってくれたPさん、Mさんからの報告です。

仮設住宅を訪問して、戸を叩くと、ほとんど全ての人が、出て来てくれて、私たちがどういう理由でそこにやってきたかを知ると、皆笑顔を返してくださいました。大丈夫でしたかと聞くと、彼らは、心の中に溜まっているものを分け合ってくださり、色んなことを話してくれました。

以下は、そんなお話の幾つかです。

Aさんの話:

「津波がやってきたので、逃げようとしていたのですが、夫は忘れ物をしたので、取りに戻ろうとしていました。寒くなるだろうからと、ジャンパーを取りに行こうとしていたのです。そうしているうちに津波が襲ってきました。私はその時、流れてきた材木につかまり、どんどん流されてしまいました。そして何かに当ったかと思うと、それは誰かの脚でした。その人が、私を抱き上げて、助けてくれました。覚えているのはそこまでで、気づいた時には日赤病院の中でした。そして自分の夫も救い出されていたのです。」

Bさんの話:

津波が襲ってきた時、すぐに高台に逃ればよかったものの、全員が車に乗り込んだ途端に、波に呑み込まれてしまいました。ドアを開けようと思っても、無理でした。そして水がどんどん車内に入ってきました。娘はもう自分たちは助からないと言いました。そして車はどんどん流されてしまったのですが、突然、どこかの家のサンルーフの上に漂着したのです。その時、父が後ろのドアは開くかもしれないと言いました。そしてやってみると後ろのドアが開きました。そして車に乗っていた赤ちゃんを含む4人と犬一匹の全員がその家の二階に入る事ができました。誰の家かわかりませんでしたが、その二階は浸水していなかったので、そこに置かれていた寝具や洋服を使わせてもらうことができ

ました。その日は雪の降る日だったので、そこにあった衣類や寝具を使わせてもらったことによって、命拾いすることができたのです。」

Cさんの話

「実は、私の娘は津波に呑まれて、未だ見つかっていないので、クリスマスの準備をどうしようかと考えていました」

スタッフ:私たちは彼女に「娘さんの霊は、神様のところに行って幸せになっていますよ!そして天からお母さんに話しかけていて、見守っておられます。お母さんは、神様の特別なご計画があって、この地上におられるのですよ。娘さんは、お母さんを助けたいと思っていると思います。」とお話したら、そのご婦人は慰められたようで涙を流していました。

<この地上から卒業された方たちは、主の御手の中にあり、それらの人達の霊は主が最善を取り計らわれています。主は「死と黄泉(ハデス)の鍵を持たれる方」(黙示録1章18節)であり、金持ちとラザロの話にあるように、次の黄泉の世界において神の采配は公平で思慮と知恵に満ちているものです(ルカ16章19~31節)。しかし地上を去った人の霊が地上の人達を助けたいという願いがかなえられるのは主次第で、一切の権威は主イエスにあります。被造物の一つに過ぎない者が地上と霊の次元をまたいで神の御意志の全体を知ることはできないので、神に信頼してお任せするのが最善ですね(マタイ28章18節; 第一コリント13章9,10節)>

Dさんの話:

スタッフ:50代くらいの彼女は、私たちが仮設住宅に来たのをとても喜んでくれました。彼女は、体を動かすことのできないお母さんの世話をしていました。そして、時々、忍耐を切らして、お母さんに厳しい言葉を投げかけてしまうことで、自分に対して嫌悪感を抱いていました。彼女は「私は厭な人間で、他の人に優しいことをすることのできない人間です」と、何度も言っていました。自分のストレスのはけ口を、体の不自由なお母さんにぶつけている事で、自分に対する嫌悪感で悩み、鬱状態になってしまっていたのでした。彼女に、お祈りを勧めると、一緒に祈ってイエス様を受けれました。私たちは彼女に「暗い部屋のような自分の心に気づいたら、明かりをつけるスイッチを入れた

らいいんですよ。それをやってみてください。」と伝えました。そして彼女は、私たちの目には、輝きがあると言っていたので、それはイエス様が心にいるからで、自分たちはではないんですよ、と教えました。そんなことを話していたら、近くの仮設住宅にいるおばあちゃんが、クリスマスに灯された電波塔を一緒に見に行きましょうと、その女性を誘いに来ました。私たちがその女性と話しているのを見て、そのおばあちゃんは、その女性について「この人は、善い人なのよ。冬支度のために工事の人たちが来ると、いつも、もてなしてあげるんですよ」と私たちに説明してくれました。それは、さらにその女性にとっての励ましとなったようでした。

 このように、被災地に出かけて行って、そこにおられる一人一人とお話させて頂いたことで、主の愛の器となることができ、とても良かったと思いました。こうして、被災された方々が、心を開いて、たくさんの感謝をもって応えてくださったのは、私たちを背後で、支援し、祈りを送って下さっていた大勢の方々のお陰だと感じています。今回の被災地訪問を可能にしてくださった皆さんに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

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