テーブルクロスの奇跡
<「クリスマスの奇跡」冊子からの抜粋です。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。ローマ8章28節:>
―リチャード・バウマン
それは、1948年の11月半ばのことでした。この話は、情熱でいっぱいの若い牧師夫妻が、初めて自分達の教区に着任した時から始まります。教会の建物は、建築当時は、その高級な住宅街でもひときわ立派でしたが、長い歳月を経て、教会も老朽化し、周辺地域もすたれてしまいました。
地域全体に活気をもたらすのは無理でも、教会の建物だけなら何とかなるでしょう。夫妻は、クリスマスまでにあの優美さを少しでも取り戻せればと、額に汗して、朝から晩まで働きました。
1ヶ月しかないというのに、することは山ほどあります。床をみがき、ワックスをかけ、壁にペンキも塗りました。教会は、クリスマスが近づくにつれ、その輝きを取り戻したかのようです。夫妻は大満足でした。
ところが、クリスマスまであと二日という時に暴風雨に見舞われ、教会の古い屋根はこの激しい嵐に耐えられず、あちこちで雨漏りしました。
そして、よりによって祭壇の真後ろの古いしっくいの壁が、決定的な被害を受けたのです。乾いたスポンジのように雨水を吸い込んだ壁は、抜け落ちて、大穴が開いてしまいました。
クリスマスイブの礼拝までに修理するのはとうてい無理です。牧師夫妻は、びしょぬれになったしっくいを剥がしながら、がっくりと肩を落としていました。建物は、ここにやって来た時よりも、さらにみじめな状態に見えました。
(しかし、そこには思いもよらぬ神の御計画があったのです)
その夜、二人はチャリティー・オークションに出席しましたが、心は沈んだままでした。そんな時、古いテーブルクロスが競りにかけられたのです。一目見るなり、牧師の胸は踊りました。
そのテーブルクロスはたいそう大きく、教会の壁の穴をふさぐことかできます。しかも、誰かの手製らしく、きれいなレースに金の刺繍がほどこしてあって、教会の壁を見事に飾ってくれるでしょう。その美しいテーブルクロスは、6ドル50セントで牧師のものとなりました。
クリスマスイブの日は、よく晴れていましたが、北風の吹き荒れる寒い日でした。教会の扉を開けると、年配のご婦人が歩道の端に立っているのが見えました。バスを待っているようですが、少なくとも30分は待たないといけないでしょう。牧師は、その婦人が寒さの中で待たなくてもいいよう、「教会の中で待ちませんか」と、声をかけました。
婦人は、たどたどしい英語でお礼を言ってから、この市の反対側に住んでいると話しました。今日はたまたま仕事の面接のためにここまで来たそうです。お手伝い兼ベビーシッターを募集していたあるお金持ちの家に行ったのですが、この婦人は雇ってもらえませんでした。戦争難民として、数年前にアメリカに来たばかりで、英語が上手に話せなかったからです。
牧師は、ちょっと仕事がありますので、と言って、穴をふさぐために祭壇のほうに向かいました。婦人はもう一度、牧師にお礼を言い、会衆席の方へ歩き始めました。
さて、牧師がテーブルクロスを広げ、壁につけていると、突然、婦人が叫びました。
「それ、私のだわ! 晩餐会用のテーブルクロスよ!」
つかつかと前方に来ると、あ然とする牧師に自分のイニシャルの刺繍を見せました。そして、興奮した面もちで次のような話をしたのです。
「戦前、夫と私はベニスに住んでいましたが、ナチスを嫌っていたので、スイスに逃げることにしました。それで、スイスに逃亡するのがナチスにばれないように、夫は私を先に行かせ、荷物を送ってから、自分もすぐに来ると約束したのです。けれども、夫の姿を見たのはそれが最後となりました。荷物もスイスに届きませんでした。後で、夫はナチの強制収容所で亡くなったと聞かされました」
涙をこらえながら、婦人は言いました。
牧師も、涙をこらえながら、そんな大切なテーブルクロスなら、ぜひ持って行って下さい、と言いました。婦人は、しばしの沈黙の後、その申し出を断りました。教会の壁に美しく映えていたし、一人暮らしなので晩餐会などすることもないだろうと言って。それから、バスに乗るために教会を出ました。
やがて、クリスマスイブの礼拝が始まりました。あのテーブルクロスがひときわ光を放ち、金色の刺繍が何千もの小さな星のように輝いて、華やかな雰囲気をかもしだしています。礼拝が終わると、人々は口々に教会の美しさをほめながら帰っていきました。
けれども、一人の年配の男性はいつまでもそこに座っていました。ついに扉に向かって歩き出すと、牧師に賛辞の言葉を述べた後でこう言ったのです。
「でも、変ですね。私の妻があれにそっくりな晩餐会用のテーブルクロスを持っていたんです」
そう言って、壁のテーブルクロスを指さしました。
「でも、それはずっと昔、私たちがベニスに住んでいた頃の話です。妻は戦争で死んでしまいました」
寒い夜でしたが、何か冷たいものが牧師の背筋をさっと走ったのは、寒さのせいではありませんでした。深呼吸をして心を落ち着けた後、牧師は、その朝、教会に来た婦人のことを話しました。
「じゃあ、妻は生きているんですか?」
男性は驚いて、牧師の手をギュッと握りしめました。頬には涙がつたっています。
「どこに住んでいるんですか? どうやって、探せばいいのでしょう?」
喜んだのもっかの間、牧師はハッとしました。そうです、どうやって探せばいいのでしょう?皆目、見当がつきません。一瞬、心が沈みました。せっかくこの男性に希望をもたせておきながら、ぬか喜びに終わらせるのでしょうか?
その時、あの婦人が面接に行った家の名前を思い出したのです。急いで電話をかけ、その婦人の名前と住所を知りたいわけを説明しました。
数分後には、牧師は車を走らせていました。そうして、二人の男性はついに婦人のアパートにやって来たのです。不安と興奮が入り混じる手で、扉をノックしました。扉が開くまでの数分が、まるで数時間のように感じられました。そして、ついに扉が開かれた時、牧師は、この奇跡のクライマックスを見たのです。
十年近くも離れ離れになっていた夫婦は、信じられないといった表情で、お互いをじっと見つめました。まばたきしたら、相手が消えてしまうのではないかと恐れているかのように。そして、喜びの涙を流しながら、しっかりと抱き合ったのでした。
この十年間の苦しみや孤独は消え去りました。夢見ていたものの、実現するなど思っていなかった瞬間が、奇跡的に訪れたのです。死んだと思っていた相手と再び逢えるなんて。
それは、奇跡か、運命のいたずらか。あるいは、信じられないような偶然の数々が同じ時に同じ場所で重なったのでしょうか? この話については様々な意見がありますが、大勢の人にとって、これを偶然の一致とか運命のいたずらというのは、この感動の再会を物語るには不十分です。そこで、人々はこの話を「クリスマスイブのテーブルクロスの奇跡」と呼ぶことにしたのです。