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2023年12月8日

12月8日 被災地でのクリスマス・イブ <2012年12月のひとしずくから>

 「やはりここに来て良かった・・・」と、何度も寒く暗くなった 宮古の仮設住宅の人たちの話を聞いて思いました。

その日、私たちは、陸前高田から、途中、何ヵ所かで絵本とお菓子などのプレゼントを配りながら北上し、宮古の近くの仮設住宅に到着したのは午後4時をまわっていました。

 仮設住宅の数とその規模の大きさには圧倒されるほどでした。そ れは今まで立ち寄ったどの仮設住宅よりも規模が大きく、マンモス仮設住宅地と呼べるほどでした。

  今年の春、この場所にやってきた時は一人で、日程も限られてい たため、仮設のお店を回るだけで、住宅の方を回るのは断念しなければなりませんでした。

 しかし、今回は、力強いチームと、バックアップしてくれている祈りの戦士達、それにどうしても手渡したい「いのちのえほん」、そして皆さんから贈られた、たくさんの心の込もったプレゼントがあります。これをここに住む一人でも多くの人々に差し上げたいとはりきっていました。

 そして、私たちは三手に分かれて、この仮設住宅の人たちにプレ ゼントを手渡すことができたのでした。クリスマス・イブということもあり、若者たちは、「サンタクロースでーす!」と言って戸を叩いて回っていました。

 とても厳しい寒さではありましたが、励ましになる言葉をたくさ ん耳にしました。

 仮設住宅の前で立ち話をしていた二人のおばあちゃんに「メ リー・クリスマス!」と言って挨拶すると、二人の顔がパッと明るくなりました。彼らはプレゼントを受け取ってからからこう言いました。 「いやー、私たちはたった今ここで、今年は誰も来ないね。クリスマス・ イブなのに何もないし、という話をしていたところだったんですよ」と。そして思いもかけない訪問にとても喜んでくれたのでした。

  私たちのクリスマス・プレゼントは「いのちのえほん」「イモムッチとアリッチ」それから友人のKさんが制作してくれた写真集、そしてクッキーやチョコレートの入ったきれいなバッグ、それから色々なおもちゃや洋服が透明の袋に入ってリボンのつけられたものなどでした。それにもう一つは、クリスマス・ハグでした。これは私の15歳の娘が、祈った時、イエス様からするように言われたことで、娘はプレゼントと一緒に、一人一人にハグをしていました。初めは恥ずかしくて、やらなかった時もありましたが、プレゼントを受け取った女性の方から、娘にハグしてきて、励まされたようです。

 また彼女がプレゼントの包みを渡しても冷めた態度だった女性も いました。しかし娘がハグをすると、涙ながらに「ここの人たちは、被災した時よりも、今もっとつらい思いを体験しているんですよ。何もか もが行き詰まっているように思えて・・・」とその辛い胸の内を明かしてくれたりもしました。

 私たちがここ宮古の近くの仮設住宅を回ってよく耳にしたのが、 「この仮設には、ボランティアの人たちもあまり来ないんですよ」という言葉でした。そこは高速道路からも遠く離れていて、大きな他の町と も離れている交通の便のあまりよくないところです。ボランティアをする人たちも、来たくても来られないといったところなのでしょう。

 とにかく、こうした人たちに「いのちのえほん」やその他のプレゼントを手渡すことができて、この場所に来たのは本当に主の導きだったと確信させられました。

 最後に、前回来た時に食事をしたことのある仮設の食堂に入りま した。その時もこの女主人の方に、前に制作した絵本を手渡したことがありました。その食堂の方は、私のことを覚えていてくれ、「あ、あの 絵本を配っていた人!」と私を見るなり言いました。

 この日は、お客さんは他には誰もいませんでした。女主人は「もう最近は、工事の人もボランティアの人も誰も来なくなって・・・。それに仮設の人たちはお金を使わないので、ひっそりしていますよ」と私たちに説明してくれました。

 私たちは、その食堂の方にクリスマスプレゼントを渡してから、 そこで食事をしました。そして彼女に証しをすると、彼女はすぐにイエス様を受け入れるために私たちと一緒にお祈りしたのでした。

 それから、私は春に泊まった宿を探していたのですが、宿の名前 を忘れてしまったので、彼女に尋ねると、この辺では泊めてくれるとしたら一つしかないと言って電話で連絡してくれたのでした。私はそこ が、てっきり以前泊まった場所だと思い込んで、住所と電話番号を 聞いて車でそこに向かったのですが、行き着いたところは、全く思ってもいなかった場所でした。どう見てもそこは民家で、旅館のようには思えません。しかし、もう遅いことだし、ここで泊めて頂けるならばと、扉を叩くことにしました。

 奥から出てきた人は、私たちを見てびっくりしていました。というのは、彼も電話の話から、別の人が来ると思っていたのです。きっと食堂の方が勘違いしたのでしょう。

 彼はぶっきらぼうに「ここは宿はやっていなんですよ。あんたは、前ここに泊まったって言ったけど、本当に泊まったんですか?」と言いました。

 私は、以前、この町の別の宿に泊まり、本当はその宿を探していたけれども、なぜか手違いでここに案内されたことを説明すると、彼は、「この町じゃ、他には泊まる場所なんてないよ。皆流されたんだから」とさらにぶっきらぼうに言いました。

 私たちは、まるでクリスマス・イブに、泊まる所がなくて困っていたマリアとヨセフのようでした。もう夜の九時半にもなっているのに、マイナス五度の寒さの中で頑張ったこのチームが、さらにこれから泊まる場所を探し歩くのはあまりにも大変過ぎます。

 私は何とかここで泊めてもらおうと必死になり、自分達のしていることを説明しようと「私は宣教師で・・・」 と言い始めると、その言葉を聞いた途端、彼の態度は変わり、「何人なんだい?」と尋ねました。彼は震災当時、多くのクリスチャンのボランティアの人たちに助けてもらったようでした。

 私たちは、その恵みに与り、二階に案内されヒーターをつけてもらい、無事、布団を用意してもらえたのでした。寒い部屋でしたが、たくさんの布団があり感謝でした。

そこの御主人は震災当時の色々な話をしてくれました。彼の家も震災直後は一階が泥だらけで、古い家だったので階段も落ちてしまったそうです。今もまだトイレはペットボトルの水をふりかけて、水洗トイレとして利用している状態です。

 そして彼は、金物屋さんの仕事をしていたことや、今、トンボを銅材で作っていることなどを話して、その作品を見せてくれました。復興のシンボルに赤とんぼということでした。指先にも止まる赤とんぼで、とても良くできています。彼はその赤とんぼの背中に十字架をくっつけていました。それをもっとたくさん作って、町の復興につながるようなお土産品となればと彼の夢を話してくれました。彼の心の願いが叶えられるように、皆さんもお祈りしていて下さい。彼はその町に来たボランティアの人たち延べ三百人くらいを今まで無料で泊めてきたそうで、自分のできる限りを尽くしてこられた人です。

思いもよらない展開により、主に導かれた宿で、またまた素敵な出会いがあったことを感しつつ、眠りについたクリスマス・イブの夜でした。

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