11月21日 備えの祈り
イエス様は、将来どんなことが起こるか予知できたようです。
向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさ い。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう。(マタイ21章 1、2節)
もし私たちが、イエス様のように、いろいろなことを予知できるのなら、どれだけ物事が容易になるだろうかと思いました。イエス様はただ予知された だけではなく、予知できた事柄について祈り、備えをされました。
たとえば12人の弟子を選ぶ前に、夜を徹してこの重大な決断について祈られました(ルカ6章13節)。十字架に磔られる前には決意を新たにし、力 を求めて祈りました(ルカ22章39~44節)。また、ペテロが、大きな試練を通過するのを知っていたイエス様は、前もって彼の信仰がなくならな いように祈り、警告しました(ルカ22章31、32節)。
このようにイエス様は、前もって何が起こるかを知り、かつ、そのために「祈りをもって備えておられた」のがわかります。では私たちはどのようにしたら、そのように前もって備えておくことができるでしょうか? イエス様のように、物事を正確に予知できない私たちは、 どうしたらいいのでしょうか?
実は主は、私たちにこれから先に起こることが、まったくわからないわけではないと言われています。マタイ16章1,2節には次のようなイエスの言 葉が記れています。
あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは 空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。
私たちは、空模様でこれからの天気を予測することができ、また朝の後には、昼、夕、夜が続くことも知っています。そして春夏秋冬の季節の循環も 知っています。そうしようと思えば、時代の流れも見分けることができると、イエス様は言っておられます。
また子供がいれば、彼らは時が経てば大き くなることも知っていますし、締切日があるなら、その日がじきに近づいてくることもわかります。職場で働く人とは、翌日にはまた顔を合わせるとい うことや、支払日には、支払いを済ませなければならないということも知っています。
というわけで、私たちは、完全な予知とは言えませんが、大体のことは予測できるわけです。では、予測できる事柄に関して私たちはどうしたらいいの でしょう。予測はそのままにしていたら、時には思い煩いにもなりえます。ですから私たちは、イエス様がされたように、それらのことに対して「祈っ て備える」ということが必要なのです。また自分に何かすべきことがあるかどうかを、主に示していただくことも大切です。
もし、苦手な人と今日会うことになるとわかっているなら、特別な恵みを求めて主に祈っておくことができます。そして相手を主が見せたいように見る ことができるように、主に啓示を求めて前もって祈っておくことができます。その日の仕事がつらいことがわかっているなら、スタミナや知恵、奇跡的 にうまく仕事ができるように前もって祈っておくことができます。
何かの締切日が近づいているなら、その日に間に合うように、前もって祈り、計画を 立てるのを主に助けてもらうことができます。そして友や兄弟が試練に遭遇するかもしれないと思えた時には、その人のために前もって祈りをささげて おくことができるでしょう。そして愛情深い主の御手に委ねて、信頼することができます。
何事も思いわずらうのではなく、常に祈りをもって備えていたいものです。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささ
げ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。(ピリピ4章6、7節)
(高原便りより)