失うものは何もない

 四月二七日 失うものは何もない (二〇一二年四月 ひとしずく七九四)

 変化は、あらゆる新しい要素をもたらします。
 私たちは、聖霊のささやきのもとに、新しい導き、今日のための指針を頂きますが、新しいその勇気ある一歩を踏み出すと、それまでは見えなかったいろいろなことが見えてきます。
 踏み出すことによって、視点は変わり、新しいことが目の前に現れるのです。時には、障害のようなものも。
 しかし、だからと言ってその一歩は間違っていたというわけではありません。こうしていたらよかった、ああしていたらよかったと、もっと理想的な手段を考えてみるのも良いと思いますが、完璧ではなかったとしても、それは決定的な失敗ではないのです。
 主は「完璧なやり方ではなかったから、残念だがあなたを祝福できないよ。あなたには、踏み出したことについての祝福よりも、完璧にしなかったための裁きを下すことにする」と言われることはないはずです。

 主が聖書で「恐れてはならない」「恐れるな」と何度も語られているのは、私たちが簡単に物事を恐れの霊をもって捉えてしまう傾向があるからなのでしょう。私たちと共におられる神は、私たちの側についている方であり、味方なのです。私たちの失敗や至らなさを責めるために、そばで目を光らせて見張っているような方ではありません。
 私たちが主を受け入れた時、私たちは新しく生まれ、神の子となりました。
 主が私たちに下さった霊は「臆する霊ではなく、力と愛と健全な精神の霊」です。私たちが新しい一歩を踏み出そうとする時、また踏み出し始めた時、主は、こうしたらいい、あれに気をつけなさい、と色々聖霊を通して気づかせてくださいます。しかしそれは私たちを助けるためであり、あるいは私たちの思う方法ではうまくいかないのを御存知で軌道修正させようとしているためであり、いずれも裁きのためではありません。
 主は私たちの心の願いをかなえようと思っておられるのです。

 ペテロは、水の上にいるイエス様のところに行こうとして水の上を歩きました。途中で沈みかけましたが、イエス様は引き上げてくださいました。

 主に従うなら、祝福があります。ペテロは水の上を歩くという、普通の人だったらできないような素晴らしい体験をすることができました。

主に「来なさい」と言われ、その通りにしたからと言って、絶対に波が彼を襲わないということではありませんでした。実際、波は彼を襲いました。ペテロは波に目を留めず、一心にイエス様を見つめているべきでしたが、彼はそうできなかったからです。

しかし、だからと言って、彼の新しいことへの挑戦は、無駄だったのでしょうか?結局おぼれそうになり失敗に終わったので、踏み出さない方が良かったのでしょうか?

私はそうは思いません。ペテロは、何も失ってはいませんでした。新しいものに挑戦した彼には、不完全なところはありましたが、彼は素晴らしい体験をし、また尊い教訓を学ぶことができたのです。
 そして彼は沈みかけましたが、主は、彼を沈むままにはされませんでした。
 ペテロは、得ることはあっても、失うものは何もなかったのです。
 主は私たちを導かれます。友として私たちといつも共にいて、私たちが新しい一歩を踏み出そうとする時、それを祝福して助け、失敗した時や恐れる時、その御手をもって引きあげてくださり、尊いレッスンを教えてくださるのです。
 恐れないで、一歩踏み出してみましょう。失うものは何もありません。

あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。(イザヤ三〇章二一節) 

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

  主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。(詩篇二三篇一、二節)

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。(イザヤ四一章一〇節)

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。(ヨハネ一五章一五節)

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