希望

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2023年1月27日

「ひとしずく」ーーひと昔編 

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(第一コリント 13章13節)

 この聖句を示して、娘が「『希望』って、聖書の中で挙げられている大切なものの一つだよね」と話しかけてきました。その娘の言葉に、私は、本当 にそのとおりだな、と改めて思いました。
 窓の外は、今日も相変わらず雪が降っています。二人でそれを眺めながら、「今は雪に埋もれた冬にあっても、いつか春が来るとわかっているなら、 厳しい冬の寒さも乗り越えるのが楽になるよね。暗い夜を通過しているとしても、やがて朝が来て明るくなると知っているなら、耐えやすいし。それと 同じく、今通過している試練が、ついには終わる時が来るということに望みを置くなら、苦しみも辛さも耐えやすくなるね」と、話していました。

 あとで、第一コリント13章13節について調べてみました。
 ギリシャ語では、13節の最初のところに、「今」(ギリシャ語で「ヌニ」)と
いう言葉が入っています。そしてある訳文には、「今残るのは信仰と 希望と
愛、これら三つです。しかしこれらの中で最大のものは愛です。」というふうになっています(前川訳)。
 すべてのものは、移り変わります。そして残念ながら、今の時勢と、聖書の預言からすると、これから時代はますます悪くなるでしょう。
 「今」のこうした厳しい状況の中で、私たちを支えてくれるものの一つは、やはり、「希望」ではないでしょうか。もし希望を持たないなら、ただ現状に絶望するばかりで生きる力も湧いてきません。神の約束の実現を見ることを望み、上を見てそれを期待すること、それは信仰と深くつながっていま す。
 再び、聖書のこの「希望」(ギリシャ語で「エルピス」)についてですが、辞書には、「永遠の救いについての喜ばしき確信をもった期待」と書かれ ています。現状に悲嘆することなく、目を神様から与えられているもっと確かな善きこと、永遠の救いに向けて、確信を持つことです。
 ついに神がすべてを新しくされた、新天新地においては、希望を持つ必要もなくなるでしょうが、その時まで、この「希望」は、私たちにとって、 「信仰」と「愛」とともに大切な友となってくれることでしょう。

 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとする ものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(エレミヤ二九章十一節)

 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたち は、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではな く、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、 希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(ローマ五章一~五節)

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