神様への贈り物

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2022年12月10日

 「ひとしずく」ーーひと昔編

一昨日の夜、初めて利用する高速バスの乗り場を探していました。用事があってその日の朝、東京から秋田に来て、またその日の夜にとんぼ返りで東京に行かねばなりませんでした。そのバス会社を使うのは初めてで、もう暗くなっていたので、バス乗り場を探すのに不安がありました。

駅に着き、急いで歩いていると、車が私が歩いているすぐそばの家の前に止まり、お年寄りを抱えて家の中に入ってきました。そして、すぐに出てきました。

私は、咄嗟にその人に、高速バスの乗り場を尋ねました。その人は親切に教えてくれましたが、それは、私の行こうと思いこんでいた方角とは正反対の方角でした。聞いて良かったと思いながらしばらく歩いていると、さっき道を教えてくれた人が車で追いかけてきて私のすぐそばに止まりました。そして、「これから暗い中探すのは大変でしょう。ちょっとわかりにくいので案内します。そちらに私も用事がありますから、どうぞ乗って下さい」と言ってくれたのでした。

私は、お言葉に甘えて乗せて頂きました。バス乗り場は1キロほども歩かなければならなかったので、本当に助かりました。

車に乗せてくれた女性は、私の実家のすぐそばが出生地だとわかりました。とても短い時間でしたが、私たちはお互い楽しく会話を弾ませたのでした。その人に、「いのちの絵本」をあげることもできました。

その人は、こんな見知らぬ私を助けるために、立ち止まって声をかけて、わざわざその場所まで連れて行ってくれたのです。本当に心温まるひと時でした。

 心温まることと言えば、その前日、いつもお世話になっている書道のT先生が、門下生の方々と一緒に、被災地に持っていくプレゼントを何箱も用意してくださいました。先生は、夜中の三時まで袋詰めや箱詰めをしてくださいました。それを受け取りに伺った時には、とても疲れていたのだと思いますが、喜びで興奮して眠れなかったと言っていました。

これらの心のこもった暖かい愛が、被災地の仮設住宅に住む方々に届けられることを本当に心から嬉しく思います。夜も寝ずにプレゼントを用意してくださったT先生と、プレゼントを提供してくれた生徒さんに心から感謝しています。<T先生には、何度か私たちのいるところに来て頂きました。那須にも秋田にも来て頂きましたが、秋田では、先生の作品の展示会を開催させて頂きました。講和もして頂きました。その時にはボランティアの学生たちも参加して色々な面で実りある時でした。つい最近、T先生からお電話があり、これが最後の展示会となると思いますと連絡がありました。お病気で腕が上がらなくなられたのです。それでその展示会に友人のLさんと伺う計画をしております。どれだけT先生が私たちの活動の背後で支えて下さっていたかを思うとただ感謝でいっぱいです>

 そして最後に、家内のことです。私が一日だけ秋田に帰った時、彼女は、私が被災地に行くために、いつものようにあらゆる準備をしてくれました。 持ち物の準備や、いろいろな人たちとのコミュニケーションなど、私の動きの水面下で、彼女がしっかりと支えてくれているのです。

その妻が、私が夜行バスで東京に向かっている夜中に、心臓発作を起こしてしまい、救急車で病院に運ばれたと娘から連絡が入りました。

彼女は被災地訪問のための準備で、疲れ果ててしまったようで、寒さも相まって心臓に大きな負担となってしまったようです。幸い、しばらくして落ち着き、今は家で静養しています。陰でこうして与え続けてくれていた妻に、本当に感謝です。<今年、二〇二二年も心臓の問題がありましたが、皆さんのお祈りのおかげで、回復しています。この「ひとしずく三六五」の編集に取り組むことで、気力が与えられたようです。皆さんのお祈りにも支えられて、主に「弱った者に力を与え」て頂きました。>

このように私はこの二日間だけでも、これらの人たちから尊い心の贈り物を頂きました。

「これらの小さな者のひとりにしたのは私にしたのである」とイエス様は語られていますが、彼らのこうした愛は、イエス様への贈り物でもあるのだと思います。どうか、主が彼らの尊い愛を、何十倍にもして祝福してくださいますように。

その他にも私は、他の人たちから「祈り」という贈り物も頂いています。いつもどこかで誰かが、自分のために祈ってくれているのです。そして、自分もまたいつも誰かのために祈っているつもりです。

時には、私たちには愛する誰かのために、何もしてあげられず、祈ることしかできない時があります。高速バスでの妻の緊急の知らせが入った時も、私はただ祈ることしかできませんでした。しかし、神様の霊によって清められた助けとなって届く祈りの賜物ほど、尊いものはないのではないかと思います。

私たちは、多くの尊い人々の愛に支えられています。私はその愛を思う時、自分もまた、行いと祈りとをもって、もっと他の人を愛したいと思うのです。

このクリスマス、いえ、クリスマスに限らず、それを神様への贈り物として捧げ続けることができますように。

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