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いばらの地に蒔かれた種

また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。(マタイ13章22節) また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。(マルコ 4章18-19節) いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。(ルカ 8章14節)...

Ⅱ. 神の位格:三位一体<9>

Ⅱ. 神の位格:三位一体<9> 神についての研究 https://ichthys.com/1Theo.htm#II.%20The%20Persons%20of%20God:%20The%20Trinity ロバート・D・ルギンビル博士著 3.神の御計画における三位一体の役割<続き> c) 具体的な新約聖書から見る三位一体の役割             1) マタイ3章16-17節: ...

石地に蒔かれた種

同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。(マルコによる福音書 4章16-17節) 主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。 彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。...