イエス・キリストの生涯-77

イエス・キリストの生涯-77

聖書の基本4

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

7) 来たる事柄: 現在、私たちの主は「わたしがあなたの敵をあなたの足の台とする[ことを始める]時まで」(詩篇110篇1節)、御父と共に座っておられます。 その「時」とは、終末の時とも呼ばれ、二千年に及ぶ教会時代の終わりの艱難期から始まります。イエスが父の右に座っておられるということは、それらの出来事<敵を足台とすること>は確かに未来の事となります(詩篇110篇1-7節; ヘブル1章13節; 参照.第一コリント1章7-8節; 第一テサロニケ1章10節; 第二テサロニケ1章6-10節; テトス2章13節; ヤコブ5章8節)。それゆえ、イエスの事実上の世界の支配権の最終的な引き受けは、イエスの花嫁である教会の完成を待っているだけなのです[1]

(19)だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。(20)それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。(21)このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。(使徒行伝3章19-21節)

a) 再臨とハルマゲドン:  艱難期の終結には、ちょうど反キリストがエルサレムに集中しているユダヤ人を滅ぼそうと構えているとき、私たちの主イエス・キリストが「現われ」(ルカ17章30節; 第一コリント1章7節; 第二テサロニケ1章7節; 第一ペテロ1章7節, 1章13節, 4章13節; 黙示録1章1節; 参照.ローマ8章19節; 第一ペテロ1章5節)、栄光のうちに、新しく復活した聖徒たちと共に戻って来られます(第一テサロニケ4章13-17節; 黙示録19章11-16節)。人の子のしるしである十字架が空に現れて世界中から見え(マタイ24章30節)、「すべての目が彼を見」ます(黙示録1章7節[2]。未信者のイスラエルは悔い改め(ゼカリヤ12章10-14節)、「すべてのイスラエルが救われます」(ローマ11章25-27節)。獣の軍隊は滅ぼされ(黙示録19章15-21節)、獣と偽預言者は火の池に沈められ(黙示録19章20節; イザヤ24章21-22節参照)、悪魔とその天使たちは奈落の底に閉じ込められます(黙示録20章1-3節)。

b) 千年王国: 主は、千年の統治を開始する一連の裁きにおいて神の正義が行なわれた後[3]、正当な相続人であり預言されたメシア王として、エルサレムの神殿に座って千年の統治を開始します(黙示録11章15節)。彼の千年にわたる統治は、エデンの園以来、世界と人類が経験したことのないような平和、豊かさ、繁栄をもたらすでしょう。[4] 復活し、報いを受けた教会(ローマ2章16節; 第一コリント4章5節)は、その栄光の支配を共有することになります(マタイ25章19-23節; ルカ22章28節; 第一コリント6章3節; ローマ8章17節; 第二テモテ2章12節; 黙示録1章6節, 2章26-27節, 3章21節, 20章4-6節)。 しかし、完全な正義、完全な管理、繁栄、欠乏のない自由が千年間続いたにもかかわらず、この至福の時代の終わりに悪魔が解放されると、人類の大多数はたちまちサタンの旗の下に群がり、神の子に反逆するようになります(黙示録20章7-10節)。神と神の真理を拒絶することと取り巻く状況が何であるかとは何の関係もないことがきっぱりと証明されるのです。

            c) 最後の審判 : 千年期の終わりには、主が悪魔と、主に逆らうようにそそのかされた人々(ゴグマゴグの反乱)を迅速かつ最終的に退治された後、復活の最終段階が行われ、再臨の時以降キリストに信仰を置いたすべての人々が永遠の命に復活します(ダニエル12章2-3節; マタイ25章34-40節; 第一コリント15章24節)。そしてカインから終末に至るまで、主を拒んだすべての人々が最後の審判で主と対面するために復活します(マタイ25章41-46節; 黙示録20章11-15節)。 すべての裁きが委ねられたお方として、イエス・キリストは、ご自分を拒んだすべての人々を裁くために座に着かれるのです。

(21)すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。 (22)父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。(23)それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。(24)よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。(25)よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。(26)それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。(27)そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。(28)このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、(29)善をおこなった人々(すなわち、忠実にイエス・キリストに従った人たち)は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。(ヨハネ5章21-29節)

d) 新しいエルサレムと永遠の国: 歴史の中で故意に主を拒んだすべての人(人と天使の両方:マタイ25章41節参照)を処分した直後、主は私たちのために新しい天と新しい地を創造され(イザヤ65章17節, 66章22節, 第二ペテロ2章10-13節; 黙示録21章1節, 21章5節)、「義だけが住む」原始の宇宙(第二ペテロ3章12節)、そして新エルサレムがイエス・キリストの教会の住まいとして天から地上に永遠に降ります(黙示録21章9節; 参照.ヨハネ14章2-3節参照)。この祝福された場所で、私たちの主は天の父と王座を共にされ、私たちは永遠に彼らとの、また互いとの、栄光に満ちた至福の交わりを楽しむのです。

(15)それだから(すなわち、信仰による救いのため)彼ら(すなわち、聖徒ら)は、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。(16)彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。(17)御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。     (黙示録7章15-17節)


[1] 神の視点による人類史については、『サタンの反乱』シリーズの第5部、II「人類史における神の計画」を参照。

[2] これらの出来事はすべて、「来たる艱難期」シリーズ(特に第5部「再臨とハルマゲドン」を参照)で詳しく説明されています。

[3] すなわち、黙示録10章3-4節の「七つの雷」によって表される裁き、すなわち、バビロン、ハルマゲドンの軍勢、獣と偽預言者、マゴグと諸国の民、サタンとその悪霊(ミレニアムの間、投獄される)、イスラエル(不信者と獣を崇拝する者が国に入る前に一掃される)、教会(報いのため)に関する裁きです 。これらは「来たる艱難期」の第6部で取り上げられています。

[4] 「サタンの反乱」シリーズの第5部、IV「第二段階の回復:千年王国」と、「来たる艱難期」の第6部参照。

<「I. イエス・キリストというお方」のセクション終わり>

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