イエス・キリストの生涯-76 報酬 アクセスととりなし

イエス・キリストの生涯-76

聖書の基本4

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

5) 報酬 :

勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。(黙示録 3章21節)

上記の聖句がはっきりと述べているように、主の十字架での勝利は、主のセッションによって証明されたものであり、私たちが「信仰の勝利」(第一ヨハネ5章4節)を通してその勝利を分かち合うための礎でもあるのです。

(26)勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。(27)彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。(黙示録2章26-27節)

創造された世界全体を支配する者としての主の地位は、まさに父なる神の御座を共有するという主のセッション(着座-父の右に座られること)によって示され、同様に、主への奉仕を通して現世で勝ち取る報酬の一部として、その支配を私たちが共有するための礎(いしずえ)となります。報酬はクリスチャンの希望に不可欠な要素です(ヘブル11章6節, 11章24-26節; 参照.イザヤ40章10節, 62章11節; マタイ6章19-21節, 10章40-42節, 25章21-23節, 25章34-36節; ルカ19章17節; 第一コリント3章8-15節, 9章24-27節, 15章58節; 第二コリント5章10節; ガラテヤ6章9節; エペソ2章6-7節, 6章8節; コロサイ3章24節; 第一テサロニケ2章19節; 第一ペテロ1章7節; 第二ヨハネ1章8節; 黙示録20章4-6節, 22章12節)、その報いには私たちの復活の体が主イエスを永遠に讃えるものとなるということが伴います(第一コリント9章25節; 参照.第一コリント15章40-42節; ピリピ4章1節; 第二テモテ4章8節; ヤコブ1章12節; 第一ペテロ5章4節; 黙示録2章10節, 3章5節; 3章11-12節, 19章8節参照)、私たちの主イエス・キリストのセッションによって確認された勝利によって、私たちもその報酬として「獲られたもの」に与ります(ルカ11章22節; エペソ4章7-8節参照)。

それゆえ、わたしは彼に大いなる者(多くの兄弟たち)と共に(獲た)物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。(イザヤ53章12節前半)

6) アクセス(つながり)ととりなし:   私たちの主が第三の天に入られ、御父の御座に着かれたことによってもたらされた最も励まされ、また現在進行中の祝福の一つは、天の御座におられる御父と御子(ヨハネ14章13-14節)に私たちの祈りが直接届くという二重の特権です(ゼカリヤ4章7節; ローマ5章1-2節前半; 第一ペテロ3章18節参照)。. .

というのは、彼(イエス・キリスト)によって、わたしたち両方の者(ユダヤ人と異邦人)が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。(エペソ2章18節)

この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神(御父に)に近づくことができるのである。(エペソ3章12節)

だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。(ヘブル4章16節)

….同時に、大祭司としての私たちの主が、私たちのために絶えずささげておられる執り成しの祈り(第一テモテ2章5節; ヘブル7章24-25節; 参照.ヨブ16章20-21節; イザヤ53章12節後半; ヘブル4章14節, 6章19-20節, 9章11-12節, 9章24節)から恩恵を受け、御霊の執り成しの祈りによって増強されるのです:

(33)だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。(34)だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、(わたしたちの身代わりとなって)死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。(ローマ8章33-34節)

わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、[わたしたちのため]父のみもと[に近づく]には、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。(第一ヨハネ 2章1節)           

(26)御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。(27)そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。(ローマ8章26-27節)

<-77に続く>

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