イエス・キリストの生涯-75
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
4) 聖霊の派遣 :
(4)そして食事を共にしているとき、[イエスは]彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束(すなわち、聖霊)を待っているがよい。(5)すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。(使徒行伝1章4-5節)
すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊[のバプテスマ]がまだ下っていなかったのである。(ヨハネ7章39節後半)
(16)わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。(17)それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。(ヨハネ14章16-17節)
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。(ヨハネ14章26節)
しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。(ヨハネ16章7節)
(32)このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。(33)それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。(使徒行伝2章32-33節)
聖霊の内住の働きによる恩恵と祝福は、それ自体が計り知れないほど崇高な祝福と力づけであり、また、この教会の時代をユニークなものとするために組み合わされた他の多くの恩恵と祝福の基礎でもあります(エペソ1章3節; イザヤ48章16節参照)。 上記の聖句から分かるように、主の地上でのミッションの成功と、天の高みでの主のセッションとそれに伴う栄光は、聖霊を遣わすという約束を実際に実行するための不可欠な前提条件でした。 聖霊が神のご計画において常に重要な役割を担っていなかったわけではありません。 御霊は常に信者と「共に」おられましたが、教会の最初のペンテコステと、それに続くキリストを信じた時点での普遍的な御霊のバプテスマ以来、今の時代のすべての信者は、文字通り御霊に包まれて祝福されています(ローマ8 章9節; 第一コリント2章16節; エペソ4章5節; 第二テモテ2章1節参照)、私たちは御霊のバプテスマによってイエス・キリストと「一つ」になるのです(第一コリント12章13節; エペソ4章5節; マタイ3章11節; マルコ1章8節; ルカ3章16節; ヨハネ1章3節; 使徒行伝1章5節, 11章15-17節参照)。
(3)それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかる(聖霊による)バプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。(4)すなわち、わたしたちは、その死にあずかる[聖霊の]バプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。(5)もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。(ローマ6章3-5節)
(26)あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。(27)キリストに合う[御霊の]バプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを[衣のように]着たのである。(28)もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。(ガラテヤ3章26-28節)
<-76に続く>