イエス・キリストの生涯-74 地下のパラダイス 天への凱旋
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
3) 地下のパラダイスから第三の天国への信者の移動 : 主が十字架上で勝利され、私たちの視野の彼方で繰り広げられている人の目には見えない戦いにおいて、その結果がもたらした一つの計り知れない驚くべき結果は、預言された「捕らわれ人の解放」(詩篇146篇7節; イザヤ14章17節, 42章7節, 49章9節, 61章1節; マタイ12章29節; 第一ペテロ3章18-22節参照)、ハデスからの解放(つまり、主が肉体の死において下られた「パラダイス」からの解放)でした: ルカ23章43節;上記I.5.m.参照)。 これらの人々は、イエスの犠牲によって実際に罪が贖われるまでは、神の完全な聖性のうちに神の御前に入ることができませんでした(ローマ3章25節)。 しかし、私たちの大祭司であるイエスが、真の至聖所に入られ、そのいけにえがセッションの捧げ物によって公式に認められることによって、天の神殿の幕が裂かれ、信者が神の御前に入ることができるようになったのです(ヘブル4章14-16節, 6章19-20節, 7章26節, 8章1節, 9章8節, 9章11-28節, 10章19-20節; マタイ27章51節参照)、十字架以前に死んだすべての信者は、イエスが昇天された時、イエスによって勝利のうちに天に導かれたのです(詩篇68篇18節; エペソ4章8節; 詩篇68篇24-27節; ヨハネ14章2-3節; コロサイ2章15節; 第一ペテロ3章18-22節; 黙示録1章18節参照)。
(7)しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。(8)そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。(9)さて「上った」と言う以上、また地下の低い底(すなわち、黄泉の国)にも[先に]降りてこられたわけではないか。<ルギンビル訳:他に、どのような意味があるでしょうか。>(10)降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために(すなわち、十字架で勝ち取られた勝利を完成させるために)、もろもろの天の上(すなわち、御父の住まいである第三の天)にまで上られたかたなのである。(エペソ4章7-10節)
悪魔は「捕えた者を家に解き帰さなかった」(イザヤ14章17節後半)にもかかわらず、私たちの主は「捕虜を捕らえ」、彼らを黄泉のパラダイスから解放し、勝利の凱旋をして第三の天におられる御父の御前に直接導かれました。 その結果、その時点から主にあって死んだ者も皆、直接天国に行っているのです(ヨハネ14章2-3節と第二コリント5章8節を比較、参照:黙示録6章9-11節, 7章9-17節)。
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