聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
2) 復活の意味: 復活の予言や(詩篇16篇10節; 使徒行伝2章24-31節, 13章30-38節)、王国の継承者としての地位(使徒行伝5章30-31節, 10章40-43節, 17章31節; ローマ1章4節; 第一ペテロ1章21節)を確証することだけでなく、(それに先行する十字架とともに)主の復活は、人類史そのものだと言っても過言ではないでしょう。なぜなら、私たちの主イエスが死からよみがえられたことにより、主を信じて生まれ変わるすべての人々のための命の門が今開かれたという、神からの紛れもないしるしが私たちに与えられたからです。さらに、神と永遠の命から私たちを引き離していた罪という障害を取り除くために十字架は必要でしたが、私たちを永遠の命のために新しく変える過程を実際に可能にするためには、復活も同様に必要です。
主は、わたしたちの罪過のために(すなわち、私たちを罪から贖うために)死に渡され(すなわち、見捨てられ)、わたしたちが義とされるために(すなわち、主の死によって義とされた私たちもよみがえるために)、よみがえらされたのである。 (ローマ4章25節)
(12)さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに[そして、私たちは宣べ伝えているのですが]、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。(13)もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。(14)もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。(15)すると、[もしその仮定の場合]わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。(16)もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。(17)もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。(第一コリント15章12-17節)
これらの箇所が示すように、父なる神への昇天と、私たちのために贖いのわざを成し遂げた私たちの主の権能と適正が正式に認められるためには、(主が父の右に座すことを示す)キリストの復活が必要でした。[1] 復活は、主の十字架上の業に対する父なる神の承認であり、主への信仰によって義と認められ、救いのすべての祝福を受け取るために必要なものでした。(エペソ1章19-23節; 使徒行伝2章34-36節; ローマ1章4節; 第一コリント6章14節; ピリピ3章10節; コロサイ2章12節参照)。このように、復活は、私たちのために犠牲を払ってくださった主の有効性を確認すると同時に(ピリピ3章10節; 第一ペテロ1章3節, 3章21節)、私たちがその復活に与るための土台となるのです(ローマ6章5節, 8章11節, 8章34-35節, 10章9節; 第一コリント6章14節, 15章21節; 第二コリント4章14節, 5章15節; コロサイ2章12節)。
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。 (第一コリント15章21,22節)
[1] 昇天、座につかれること、なだめについては、それぞれ後のI.5.o、I.5.p、II.6を参照のこと。
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