イエス・キリストの生涯-60
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
m. パラダイスへの主の降下 : 十字架にかけられた主は、仲間を叱責した盗人にこう答えました。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。(ルカ23章43節)。この「パラダイス」は、ラザロと金持ちの話(ルカ16章19-31節)では「アブラハムのふところ」と呼ばれていますが、旧約聖書では陰府(=黄泉)またはシェオール(שאול)の三つの「区画」の一つです(ヘブル語テキストの詩篇16篇10節でこの降下に関して言及されているのはシェオールSheolです)。新約聖書ではハデス(ᾅδης)と呼ばれています(使徒行伝2章27節と2章31節のギリシア語訳では詩篇16篇10節の引用で、この降下に関して言及されているのはハデスです)。パラダイスはイエスの昇天前に亡くなった義人の場所であり、他の二つの地下の区画、「苦しいところ」(救われていない死者の場所:ルカ16章28節, 16章23節)と「タルタロス」(「深淵/底知れぬ所」とも呼ばれる)(現在の争いのための神の基本規則に違反した堕天使の監禁場所)とは区別されます: ルカ8章31節;第二ペテロ2章4節; ユダ6節; 黙示録9章1-11節, 20章1-3節)。これら三つの場所は、厳密には区別され、互いに不可侵的に分離されていますが(ルカ16章26節参照)、聖書ではシェオールやハデスという一般的な名前で呼ばれることがあります。さらに、この二つの単語は英語版の聖書では「地獄」や「墓場」と表現されることもあり、使徒信条にある「地獄に下られた」という表現を説明するのに役立ちます。つまり、主が十字架で勝利されて昇天され、第三の天に移される前のすべての救われた信者の場所であり、次の日曜日の復活を待つためにイエスの人間の霊が降りた祝福の場所なのです。 主が「今日、あなたはわたしと一緒にパラダイスにいる」と言われたのはこの場所です。主の到着(と第三の天への差し迫った移動)を待つ兄弟姉妹の皆に、勝利を宣言された主の短期滞在は、使徒ペテロによっても言及されています。
その霊においてキリストは、捕らわれている(天使の)霊たちのところ(深淵)に行って(キリストの勝利を)宣言されました。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐をもって(裁きを遅らせて)待っておられたときに従わなかった(天使の)霊たちにです。(新改訳Ⅳ 第一ペテロ3章19-20節)
上記で「宣言され」と訳されている言葉(KJVでは「preached宣べ伝えた」と訳されていることで有名です)は、ギリシャ語のkerussoケルッソという言葉です。この動詞は名詞keryx、つまり「宣言」ということで、その神聖なギリシャの役人は、地位を示す特別な杖を携え、公式の交渉や連絡において相手側と対応する立場にあるため、殺害や投獄から免れていました(今日の免責特権を持つ大使に似ていますが、古代ギリシャではむしろもっと真剣に受け止められていました)。つまり、この動詞は、現代のキリスト教で使われるような「宣教する」というよりも、むしろ「王の大使として王のメッセージを伝える」(第二コリント5章20節参照)という意味であり、それこそが、タルタロス(または「底知れぬ所」)に幽閉された堕天使たちに対して、私たちの主が行ったことなのです。私たちの主がパラダイスで過ごされた三日間のある時点で、主はこの勝利の宣言をされました。パラダイスと苦しいところの間の物理的な分離(すなわち、両者の間にある「大きな淵」:ルカ16章26節)と同様に、タルタロスも他の二つの区画から完全に分離されていると考えてよいでしょう(聖書の他の箇所での描写を参照: ルカ8章31節; 第二ペテロ2章4節; ユダ6節; 黙示録9章1-4, 4b-8, 9-11節, 20章1-3節)。ですから、主がこれらの悪霊と交わされたのは、まさにペテロが描写しているような方法、すなわち、「御霊[の力]において」でなければならなかったのです。この勝利の宣言は、主の使命の成功と支配の切迫を確認するものでした。それはまた、御使いたちに対する私たち主の従者たちの優越性を示すものでもありました(第一コリント6章3節; ヘブル2章5節)。この旅の方法についても、メッセージの具体的な内容についても、詳しいことは記されていませんが、この勝利の知らせは、サタンに従う者たちにとっては破滅のメッセージであったと言えるでしょう。[1]
(7)しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。(8)そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。(9)さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。(すなわち、黄泉の国のパラダイスから十字架以前の信者を天に連れて来られた)(10)降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちる(十字架で勝ち取られた勝利を完成する:詩篇110篇1節参照)ために、もろもろの天の上(すなわち、父の住まいの場所である第三の天)にまで上られたかたなのである。(エペソ4章7-10節)
キリストは肉において現れ、[聖]霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた。 (第一テモテ3章16節)
[1] 「サタンの反乱」シリーズ、特に第1部と第5部を参照。
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