イエス・キリストの生涯-48

イエス・キリストの生涯-48

聖書の基本4

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

キリストの七つの裁判<v>:

4) ピラトの前での裁判: 第一段階(マタイ27章11-14節; マルコ15章1b-5節; ルカ23章1-5節; ヨハネ18章28-30,31-34,34c-36,37-38節):  ローマ帝国の保護領であったユダヤでは、死刑の権限はローマ総督に委ねられていたため(ヨハネ18章31節[1]、主をピラトの前に連れて行く必要がありました。 イスラエルの支配者たちがイエスは死ぬべきであると決定した以上、あとはこの決定を実行に移すだけであり、そのためにはローマ総督を説得して彼らの死刑宣告を承諾させる必要があったからです。この目的のために、祭司、長老、律法学者、パリサイ人たちは、どんな偽りでも厭わず、自分たちがすでに下した決定に対して何らかの根拠を示さなければならないことに、明らかに苛立っていました(「もしこの人が悪事をはたらかなかったなら、あなたに引き渡すようなことはしなかったでしょう」ヨハネ18章30節)。ルカは、イエスを処刑する理由を求めるピラトの要求に対して、三つの告発を記録しています: 

そして訴え出て言った、「[1]わたしたちは、この人が国民を惑わし、[2]貢をカイザルに納めることを禁じ、また[3]自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」。 (ルカ23章2節)

彼らが、私たちの主が犯罪的な行為をしているのにたった今 「出くわした 」という訴えは、(妬みからしているのではないと思わせるための)訴訟全体が不審に思われないために意図されたものです。「民衆を惑わした」というのは、全く一般的な罪状で、ピラトがそのまま無罪放免にすることになりかねない場合に、ピラトに有罪の理由を与えるためのものです。「税金を納めさせないようにした 」というのは、もちろん全くのでたらめです。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」という主の命令は、もうよく知られるようになっていました。異邦人への納税に憤慨し、そのような納税を回避し、抵抗するために共謀したことは、実際、彼ら自身が有罪であった可能性が高い犯罪でした。しかし、この第二の罪状は、ピラトに死刑執行を許可するもっともな言い訳を与えることになります。

最後に、ほとんど後付けのように、サンヒドリンが実際に合意した罪状が含まれています: イエスはメシアだと主張したということです。これは彼らの不信心な目には冒涜であり、彼らは説明のために「王」という言葉を付け加えましたが、それは間違いなく、カエサルに代わる王権を主張するもの、特に神の委任を主張するものは、ローマ政権から謀反者の脅威とみなされる可能性が高いことをよく知っていたからでしょう。 しかし、彼らは、ピラトが最初の二つの罪状を見抜き、頭から退け、三番目の罪状に集中するとは思っていませんでした。

「あなたがユダヤ人の王であるか」(マタイ27章11節)(マルコ15章2節; ルカ23章3節; ヨハネ18章33節

「そのとおりである」 (マタイ27章11節)(マルコ15章2節; ルカ23章3節; ヨハネ18章37節

ヨハネだけが、イエスのより詳細な説明を記録しています。イエスは確かに王ですが、その王国はこの世のものではありません。イエスは真理を証しするために来られたのであって、この世の支配に取って代わるために来られたのではありません。「真理とは何か」(ヨハネ18章38節)というピラトの悪名高い答えは、主が地上の反乱を扇動しているのではないことをはっきりと理解していたことを示しています。その結果、ピラトが最初に下した正当な評決は、彼にとって容易なものでした:

                「わたしはこの人になんの罪もみとめない」。

                (ルカ23章4節)(参照:ヨハネ18章38節

しかし、この判決によって無罪を言い渡された者について、告発者たちは、激しく訴えました。あらゆる正義の基準に反して、ピラトはこの言葉による猛攻撃をしばらく続けさせ、主がそれ以上の告発に応じなかったことに「驚いた」のです(マタイ27章14節; マルコ15章5節): イエスは、圧倒的に不当であったにもかかわらず、それまで受けてきたすべての法的手続きに協力されたのです。 そして罪を認められなかったイエスは、もはや正義の基準によって拘束されることはありませんでした(「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」と言ってイエスから言葉を引き出そうとしましたが、ピラトはそれ以上歩み寄る術はありませんでした:マタイ27章13節; マルコ15章4節)。それで、ピラトがイエスの宣教がガリラヤで始まったという事実を知らされるやいなや、そのことを利用しようとしたわけです(ルカ23章5-7節)。


[1] 参照. A.N. Sherwin-White, Roman Society and Roman Law in the New Testament (Oxford 1963) 25-47.

<-49に続く>

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