イエス・キリストの生涯-47
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
キリストの七つの裁判<iv>:
. . . [モーセは]キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。(ヘブル11章26節)
こういうわけで、わたしたちは、[11章の信者のように]このような多くの証人[人と天使たちの両方]に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。(ヘブル12章1-3節)
したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。(ヘブル13章13節)
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架に<英直訳:木に>かかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。(第一ペテロ2章24節)
しかし、十字架にかけられ、暗闇の中で私たちに代わって罪のために死ぬという究極の試練の前に、私たちの主は、全く罪がないにもかかわらず、罪深い人間の手による6つの裁判を受けさせられ、主が彼らの罪のために死なれようとしているその人間たちから罵倒され、拒絶され、断罪されるのです。
1) アンナスの前での裁判(ヨハネ18章12-24節): 主の時代、大祭司職は主に政治的な役職になっていました。アンナスはもう職には就いていませんでしたが、カヤパの義父であり、王座の背後にある明らかな権力者でしたので、ゲッセマネの園で逮捕された主が最初に連行されたのはアンナスでした。 激しい尋問の中、イエスは弟子たちに関する質問に答えることを拒否し、肉体的な虐待にもかかわらず、臆することなく答え続けました(参照:ヨハネ18章21-23節; イザヤ50章8-9節)。
2) カヤパの前での裁判(マタイ26章57-68節; マルコ14章53-65節):ヨハネとマタイの記述を比較すると、アンナスの住居は大祭司の公邸と中庭を共有していたようです。 最初の尋問と同様、この裁判も邸宅の中庭で行われたに違いありません。ペテロは裁判の進行を観察することができ、主はペテロが三度目の否認をした直後に会うことができたからです(ルカ22章61節)。第一回目の裁判は、主の従者たちを一網打尽にするための情報収集に重点が置かれていたようですが、この第二回目の裁判は、ローマ総督に受け入れられ、かつ説得力のある死刑のための適切な罪状をでっち上げることを目的とした、下準備的な機能を果たしていたようです。しかし、取り調べを受けた証人の誰も説得力のある証言はしておらず、主が直接の尋問を受けてメシアであることを認めたときに初めて、告発者たちはイエスを有罪にする十分な証拠が揃ったと満足したのです。この裁判の過程で、イエスは唾を吐きかけられ、平手打ちをされ、殴られ、目隠しをされ、あざけられました。
3) サンヒドリンでの裁判(マタイ27章1節; マルコ15章1節前半; ルカ22章66-71節; ヨハネ18章28節参照): 最初の二つの裁判は地理的に近い場所で行われましたが、おそらく夜明け前に、主はユダヤの元老院またはサンヒドリンが開かれた公会堂に連行されました。 四つの福音書すべてによると、この三回目の裁判は、二回目の裁判のすぐ後に行われ、ペテロの否認を挟んで、夜明けに行われました。エルサレムとユダヤで(ローマ総督とそのスタッフ以外の)最も政治的に力のある人々の前でこの裁判が行われた目的は、大祭司が用意した罪状に正式な「ゴム印」を押すことにすぎませんでした。 この裁判の詳細はルカにのみ記録されており、主が問われた唯一の告発は、カヤパが衣を引き裂く原因となったのと同じものです:
彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。(ルカ22章70節)
この非常に短い裁判の結果は、迅速な有罪判決で、主は縛られたままプラエトリウム(ローマ総督の本部)に連れて行かれました(マタイ27章2節)。
<-48に続く>