イエス・キリストの生涯-21
聖書の基本4
ロバート・D・ルギンビル博士著
e)キリストの誕生にまつわる出来事<v>
4.<b> 星と博士たち(マタイ2章1-18節):
博士(ペルシア語で、ギリシャ語の「魔法」を語源)は伝統的に「賢者」として知られています。これらの異邦人が神の国を待ち望む信仰者であったことは、彼らの行動から明らかです:
– 彼らは遠くから困難な旅をして来ました(マタイ2章1-2節)。
– 神が彼らの旅を導きます(マタイ2章1-2節, 2章9-10節, 2章12節)。
– メシアに高価な贈り物をします(マタイ2章11節)。
– ベツレヘムでイエスを見つけると「礼拝」します(マタイ2章2節, 2章11節)。
– ヘロデのもとに帰るなと警告した神の夢に従順に応えます(マタイ2章12節)。
賢者たちが信仰者として認められるのは、彼らがどのような手段と、動機で来ることになったのか、すなわち、聖書を熱心に調べることによってであったことからもわかります:
[賢者たちは、](言った、)「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。(マタイ2章2節)
…ヤコブから一つの星が出、イスラエルから一本のつえが起り… (民数記 24章17節後半)(マタイ2章1-13節; 参照.創世記49章8-12節; 申命記33章7節; ルカ1章78節; 黙示録12章5節)
マタイ2章1節では、賢者たちは「東方から」来たとされており、彼らがメシヤに関する聖句と預言を知っていて、心から熱心にそれらに応えていることを考えると、この博士たちが、ダニエルが監督として任命され、彼がその長として長く在任している間、疑いなく大きな影響力を及ぼしていた知者らの仲間たちの後継者であることは確かなようです(ダニエル2章48節)。 キリストの時代、バビロンはもはや重要な政治的首都ではありませんでしたが、このような「高等学問」の中心地でした。当時、「魔術師」という称号を名乗ったすべての人々に「信者」という真に祝福された称号を与えたいとは思いませんが、聖典に献身したこの異邦人(の博士ら)の小さな一団は、真理を信じる信仰に報いられ、このような特別な形で神に用いられたのです。聖典に献身したこの小さな異邦人のグループは、真理への信仰の報いを受け、このような特別な方法で神に用いられました。「金、没薬、乳香」という高価な贈り物を贈ることで、神のご計画に大きく貢献することが許されたのです。金はイエスの神性を表し(神殿の象徴ではよくあることですが、金は希少で貴重で栄光に満ちたものです)、没薬(香を焚いたり、防腐処理に使われる高価な物質)は、私たちのために死ぬための人間性を表し、乳香の甘い香りはイエスの犠牲が受け入れられることを表しています(参照.キリストの御業を表すレビ人の供え物の「甘い香り」: エペソ5章2節; ヘブル1章3節参照)。 これらの貴重な宝物は、主とその家族がエジプトに逃れるための資金となり、エジプトにいる間、彼らを支えたことはほぼ間違いありません[1]。
星そのものについては、この天体を現代天文学が定義する意味での「星」、あるいは小惑星や彗星と考えるのは間違いです。マタイによる福音書のこの光り輝く天体の動きについての記述は、この天体がそのような現象と同一視されるべきではないこと、また、古今東西を問わず、この天体の出現を示す世俗的な証拠を探しても無駄であることをはっきりと示しています。この特別な「星」の目的は、メシアの到来を告げる民数記24章17節の預言の成就だけでなく、博士たちをベツレヘムに導くことでもあります。この特別な「星」は、実際に賢者たちをキリストの誕生の場所へと導き、実際、キリストとマリアとヨセフが滞在していた家へと導いたのです(マタイ2章9-10節)。この星はキリストの誕生の時に現れ、預言を成就させ、博士たちをユダヤに連れて行き、イエスのもとに導き、そして、その目的が達成された後、姿を消したのです[2]。これは完全に超自然的な出来事であり、神によって予言され、綿密に指示されたものであり、科学によって説明されたり合理化されたりするような、予測可能な、あるいは認識可能な天文学的な出来事ではありません。これは最高の奇跡でした。
<-22に続く>
[1] この見解はクリス・ロジャース師Rev. Chris Rodgersのおかげです。
[2] マタイはそう言っていませんが、天使はしばしば星として描写され、星として現れることが多いので、ベツレヘムの星が天使であった、あるいは天使の働きによるものであった可能性は確かにあります(例えば、黙示録9章1-2節, 12章4節; 参照.イザヤ14章13-14節; また、ルカ2章13節と イザヤ40章26節を比較してください)。