イエス・キリストの生涯-18

イエス・キリストの生涯-18

イエス・キリストの生涯-18

聖書の基本4

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

e)キリストの誕生にまつわる出来事<ii>

                2.  飼い葉桶の中の赤ん坊(ルカ2章4-20節): 

ヨセフとマリアがベツレヘムに滞在した場所には、生まれたばかりの主を寝かせるベビーベッドがありませんでした。 このため、彼らは代わりに飼い葉おけを使いました。飼い葉おけとは、動物の餌を入れるのに十分な深さのある持ち歩きのできる木の箱のことで、通常は納屋で使われるものですが、ここではベビーベッドの代わりに使われました。 これは、羊飼いたちがベツレヘムで見つけた赤ん坊が本当にメシアであるという、彼らへの「しるし」であり、赤ん坊が「包まれていた」という事実、つまり、その時代に生まれたばかりの赤ん坊に着せるのに普通使われていた衣に包まれていたというのではなく、この世の主であり、すべてを創造し、その力強い御言葉によってすべてを保っておられるお方が、粗末なものの中に横たわっていたという事実が、注目に値するものなのです。このしるしは、神の子がこの世に来て、真の、栄光のない人間となり、しもべの姿になることが必要であることを明確に示すケノーシス、あるいは謙虚さでした。それは、特権や贅沢の人生ではなく、また自分が何者であって、全人類のために何をしようとしていたかのために感謝を受けるような人生でもなく、むしろ、謙虚さ、欠乏、そして、恩知らずな最もひどい待遇を経験することによって特徴づけられる、彼が歩むことになる人生を象徴し、示すものでした。

私たちの主の誕生に関するこの特別な側面について、多くの一般的な誤解があることを考えると、ここでさらにいくつかの説明をする必要があります。「宿屋に部屋がなかった」ので、イエスは納屋でお生まれになり、ヨセフとマリアはそこに泊まらなければならなかったという考え方は、今日では非常に一般的ですが、次の訳が示すように、原文がギリシャ語で意味しているものとは違う完全な誤解に基づいています:

そして、[マリアは]その子、初子を産み、その子を布で包み、飼い葉桶(ギリシャ語ファトネ、φάτνη)に寝かせた。宿屋には[その子を寝かせるのに][ふさわしい]場所がなかったからです。(英文直訳ルカ2章7節)

そして[羊飼いたちは]急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子[イエス](単数)を捜しあてた。(つまり、ルカ2章7節で説明されているものです。これが彼らが求めていたしるしです) (ルカ2章16節)

「場所」と訳されているギリシア語(トポス、τόπος)は、「面積」や「空間」という意味で「部屋」と訳されてしまっていますが、例えば欽定訳聖書が暗示していると思われるような、家(あるいは宿屋)の「部屋」という意味をここでは持ちません。第二に、上記の飼い葉おけ(ギリシア語ファトネ、φάτνη)と訳されている単語は、まさに牛に餌を与えるために使われる比較的小さな長方形の木の箱を指しており、それ以外の意味を持つかどうかは非常に疑問です[1]、 しかし、欽定訳の英語の誤解して使われた言葉から推測させてしまうと、「馬小屋」の物語は、残念ながらこの逸話自体が独り歩きしてしまっている感があります。「馬小屋」やそこに飼われているとされる動物たちに誤った焦点が当てられているため、本来注目すべき点、すなわち、ここで扱われている屈辱の印が主のみに属し、主のみが注目されるべきものであったという事実が隠れてしまっているからです。この屈辱の印は主の両親にはあてはまりませんし、ましてや場所にもあてはまるものではありません。飼い葉おけは彼(キリスト)の救世主としての地位の象徴であり、また、彼(キリスト)が私たちのために耐える謙虚さと屈辱の人生の象徴でもありました。さらに、飼い葉おけは、私たちのために唯一の御子を犠牲に捧げることで、天の父が世界に与える贈り物が重大なものであることの象徴でもありました。生命の主であり、宇宙の創造主であり、永遠に栄光ある神は、死ぬために生まれました。主は、棺桶のような汚い木箱に入ってこの世に生まれ、復活前に荒々しい木の十字架に釘付けにされてこの世を去りました。私たちが死ぬことがなく、主と共に永遠の命を得るために、主は私たちの身代わりとなって死なれたのです。

<-19に続く>


[1] 「納屋」の可能性を主張する論拠は、例えばバウアー、アーント、ギングリッチのギリシャ・英語辞典Bauer, Arndt and Gingrich Greek English Lexiconによって示されていますが、疑わしい類似点を挙げているという点において、説得力に欠けるものでしかありません。

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