イエス・キリストの生涯-7
d<-iv>. 旧約聖書の預言<iv>:
聖書の基本4A
ロバート・D・ルギンビル博士著
3) 復活の預言 :
あなたはわたし(のいのち)を陰府(シェオール)に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。(詩篇16篇10節)
主は、ふつかの(すなわち、教会時代<二千年>の後)後、わたしたちを生かし、三日目(すなわち、千年王国)にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で(すなわち、三日目の復活においてこの預言を体現するメシアとともに)生きる。(ホセア6章2節) (参照:ルカ24章46節; 第一コリント15章4節)
4) 再臨の預言:
(1)なにゆえ、もろもろの[地上の]国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。(2)地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、「われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう」と。(詩篇2篇1-3節)
「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた」と。(詩篇2篇6節)
主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。 (詩篇110篇1節)
主は言われる、「あなたがわがしもべとなって、ヤコブのもろもろの部族をおこし、イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、いとも軽い事である。わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を[わが救い器として]地の果にまでいたらせよう」と。 (イザヤ49章6節)
その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。(エレミヤ33章15節)
主はこう仰せられる、『わたしはシオンに帰って、エルサレムの中に住む。エルサレムは忠信な町ととなえられ、万軍の主の山は聖なる山と、となえられる』。(ゼカリヤ8章3節)
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。 (ゼカリヤ9章9節)
主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。(ゼカリヤ14章9節)
旧約聖書における主の出現を、主の御姿と御業について語られている至る箇所にある予型論と、主のメシヤであること、受肉、受難、復活、再臨についての具体的な預言と組み合わせると、イエス・キリストが聖書の最初から聖書の真のメッセージであったことがはっきりとわかります。
このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。 (ヨハネ 1章45節)
(24)信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、(25)罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、(26)キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。(ヘブル11章24-26節)
<-8に続く>