イエス・キリストの名前-b-x

聖書の基本4A-27

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

ロバート・D・ルギンビル博士著

                18) 光:  神であるイエスは光です(第一ヨハネ1章5節参照; ヤコブ1章17節; 黙示録22章5節も参照)。 光は、いのち、聖さ、真理を表し、私たち人間が簡単かつ徹底的に共感できる方法でそれを行うので、聖書のシンボルとして非常に重要です(参照:ヨハネ3章19-21節)。 悪魔が反逆したとき、それまで神の創造にはまったく関わりのなかった闇が生まれました。 死、悪、真理の不在を象徴する闇とは対照的に、イエスは光であり(マタイ4章16節; ルカ2章32節; 使徒行伝26章13節; 第一ヨハネ2章8節; 黙示録21章23節)、聖なる方であり(マルコ1章24節; ルカ1章35節, 4章34節; ヨハネ6章69節; 使徒行伝4章27節; 黙示録3章7節; ヨハネ12章40-41節イザヤ6章1-10節を比較)、真理そのものであり、命そのものです(ヨハネ8章12節, 9章5節, 12章46節)。

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 (ヨハネ1章4-5節)

真の光であるイエス(ヨハネ1章9節)において、「光の子」(ヨハネ12章36節; エペソ5章8節参照; ルカ16章8節; マタイ5章14節も参照)として、私たちは光の国に入り、暗闇の国から出ます(コロサイ1章12-13節; 使徒行伝26章18節参照)、私たちを永遠のいのちの光に安全に導くために暗闇の世界に来られた方の、いのちを与える真理を信じるのです(第一ペテロ2章9節; 使徒行伝26章23節参照)。

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。 (ヨハネ8章12節b)

わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。(ヨハネ12章46節)

<-28に続く>

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