神の小羊/ 最後のアダム
イエス・キリストの名前-b-viii
聖書の基本4A-25
ロバート・D・ルギンビル博士著
15) 神の小羊 : 「神の小羊」という称号は、旧約聖書の罪に関するいけにえ(これらはすべて私たちの主の十字架上の死を語っています)を思い起こさせ、私たちの罪のための唯一の完全な身代わりであり、いけにえであるイエス、「世の罪を」(ヨハネ1章29節)取り除いた「傷のない小羊」(第一ペテロ1章19節; イザヤ53章7節参照)に注意を促します。 もちろん、イエスはご自分の命を捧げられたのであって、文字通り血を捧げられたのではありません(ヘブル8章3節参照:「捧げるもの」)。 「キリストの血」はイエスの犠牲の象徴であり、「神の小羊」は暗闇の中で私たちの罪のために十字架上で裁かれたイエスの犠牲を象徴する称号です(第二コリント5章21節; 第一ペテロ2章24節)。 この称号は黙示録に顕著に現れていますが、それは主が私たちに代わって犠牲の死を遂げることによって、世界を支配する権利を勝ち取られたからです(黙示録5章6節, 5章8節, 5章12-13節, 6章16節, 7章9-10節, 7章14節, 12章11節, 13章8節, 14章1節, 14章4節, 14章10節, 15章3節, 17章14節, 19章7節, 19章9節, 21章9節, 21章14節, 21章22-23節, 21章27節, 22章1節, 22章3節)。
16) 最後のアダム: 最初のアダムを通して罪が世に入りましたが、最後のアダムを通して、救いの恵みが彼を信じるすべての人に与えられました(ローマ5章12-14節; 第一コリント15章21-22節; 創世記3章15節; ガラテヤ3章19節参照)。 イエスは、永遠の命を求めて彼に信頼を置くすべての人にとって、「命を与える霊」だからです(第一コリント15章45節)。 このように、「最後のアダム」”という名前は、私たちの主の真の人間性に注意を喚起するだけでなく、私たちに代るご自身の犠牲的な死を通して、アダムが堕落して以来、人類を苦しめてきた普遍的な問題、すなわち、罪とその結果としての死の問題を解決されたという事実にも注意を喚起します。 最後のアダムを信じる信仰によってのみ、私たちは永遠に生きることができ、霊的な死と肉体的な死に続く永遠の死という人類が共通して引き継いでいるものを避けることができるのです。[1] 最後のアダムであるイエス・キリストは、最初のアダムと私たちその子孫にかけられた呪いを取り去り、私たちがエデンに再び入ることを可能にしてくださった方です。
<-26に続く>
[1] 『聖書の基礎 3A:人間論』の第6章「最後のアダム」参照。(英文”Last Adam”)