キリストの真の人間性–悪魔に勝利するため
聖書の基本4A-10
ロバート・D・ルギンビル博士著
b. キリストが真の人間性を帯びることは、悪魔に勝利するために必要でした:
罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。 (第一ヨハネ 3章8節)
十字架と王冠は不可分の関係にあります。メシアの冠を得るために、イエスは十字架を耐え忍ばなければなりませんでした。そして、その冠は十字架を基盤として勝ち得たものです。
そして、[十字架によって、神は、悪魔の]もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。 (コロサイ2章15節)(ローマ16章20節; ヘブル2章14節; 第一ヨハネ3章8節b参照)
私たちのために、真の人間の肉体をもってカルバリの丘で犠牲的な死を遂げられた私たちの主は、それによって、悪魔を打ち負かし、取り除くために必要な基盤を形成されました。そして、(それに伴う私たちへのすべての栄光と共に)その究極的な勝利は、十字架上の勝利の目的のほんの一部にすぎません。
このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に(すなわち、処女で生まれたので罪がないという点だけが同じではありませんが)、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、 死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。 (ヘブル2章14-15節)
新しい天と新しい地の永遠が始まるために、悪を神の宇宙から取り除くために、悪は十字架で打ち負かされなければなりませんでした。そして、イエスが私たちの罪を贖ってくださったことによってのみ、この祝福された勝利が勝ち取られ、神と神の憐れみに立ち返ることを望む人々との間に和解がもたらされたのです。
神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。(コロサイ1章19-20節)
サタンの反逆は、人類の創造を必要とする一連の出来事を引き起こし、アダムを通しての私たち全体の堕落によって、最後のアダムが私たちの身代わりとなって死ぬ必要性をも生み出しました。 真の人間としてのみ、イエスは十字架の勝利を勝ち取ることができたのです。主イエス・キリストが栄光のうちに再臨されるとき、悪魔に対する究極の勝利の結果として、真の人間として永遠に支配されるのです。(黙示録11章15節; ヘブル10章11-13節参照)
彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。 (黙示録 17章14節)
私たちキリストのからだは、キリストの勝利と、その勝利から生じる賜物と報いを分かち合います。
(7)しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。(8)そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き(すなわち、十字架以前の信者を天国に連れて行かれた)、人々に賜物を分け与えた」。(9)さて「上った」と言う[言葉の表現がある]以上、また地下の低い底にも降りてこられた(すなわち、黄泉の国、そこから十字架以前の信者を天に導き入れられた)わけではないか。(10)降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちる(十字架で勝ち取られた勝利を完成する;詩篇110篇1節参照)ために、もろもろの天の上(すなわち、父の住まいの場所である第三の天)にまで上られたかたなのである。(エペソ4章7-10節)
悪魔とその天使たちが気づいていたかどうかは疑問ですが、主の受肉の瞬間から、救いは確実なものとなり、サタンの敗北は確実なものとなりました。 サタンは、肉体を持つことの快楽を知りたいという欲望によって、天使の三分の一を堕落させました[1]。しかしイエスは、官能的な体験のためではなく、この世の悲しみを計り知れないほど経験した後、私たちを救うために、私たちのために十字架上で苦しみ、死んでくださいました(イザヤ52章13節~53章12節)。 これこそ、私たちの救いと敵の失脚がかかっている偉大な勝利であり、私たちの主が肉体を持って地上に来られる必要があった理由です。
七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。(ルカ10章17-18節)
平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。(ローマ16章20節a)
[父なる]神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。 (コロサイ1章13節)
(31)今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。(32)そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」。(ヨハネ12章31-32節)(ヨハネ16章11節)
(21)それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。(22)アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(23)ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト(復活の順番の最初の人となる方)、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち(すなわち、再臨の際のすべての信者)、(24)それから終末となって[人類史の終わり–千年王国時代の信者の復活]、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。(25)なぜなら、キリストはあらゆる敵(すなわち、敵対する人間と天使の支配)をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。(第一コリント15章21-25節)(詩篇110篇1節参照)
<-11に続く>
[1] 『サタンの反乱第一部: サタンの反乱と堕落』IV3.b「悪魔の革命的な政略」をご覧ください。