聖書の基本4A-2
I. イエス・キリストの御姿
1. イエス・キリストは真に神です: 私たちの主は、私たちの身代わりになって死なれるために、真の人間にならなければならなかったので、その結果、主の真の神性は、結果として、時に不適切に、かつ間違って否認されてきました。しかし、このような一部の人々の信仰の欠如は、イエスが神であると同時に人であるという事実を変えるものではありません。キリストの神性を否定するあらゆる異端や異端者に対する究極の反論手段は、いつものように聖書です。そうでないと考える人々の意見にかかわらず、聖書はキリストの神性を声高に宣言しており、キリストの神性を否定することは、事実上、聖書と矛盾することであることを、公平な観察者は認めざるを得ないからです:
a. 神として、イエスは明確に神と呼ばれています(イザヤ40章3節; ローマ1章4節; マタイ22章41-46節, 28章19節; ルカ1章35節, 5章20-21節; ヨハネ1章1-18節, 5章18節; 第二コリント13章14節; コロサイ1章15-20節, 2章9節; ヘブル1章3節参照):
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。(イザヤ書 9章6節)
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 (マタイ23章1節)
(3)実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。(4)彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、[シキナの]栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、[神殿の]礼拝も、数々の約束も彼らのもの、(5)また父祖たちも彼らのものであり、肉によれば[子孫に関する限り]キリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。(ローマ9章3-5節)
(5)キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。(6)キリストは、神のかたちであられたが、[彼がすでに持っておられた]神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、(7)かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、(8)おのれを低くして、死に至るまで、しかも[私たち皆のために]十字架の死に至るまで従順であられた。(ピリピ2章5-8節)
祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。 (テトス2章13節)
御子については、[父はこう言われる、]「神よ、あなたの御座は、世々限りなく続き、あなたの支配のつえは、公平のつえである。(ヘブル1章8節)
イエス・キリストの僕また使徒であるシメオン・ペテロから、わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を授かった人々へ。 (第二ペテロ1章1節)
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、[神の]御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。 (第一ヨハネ 5章20節)
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。(黙示録 22章13節)(黙示録22章16節参照)
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