イエス・キリストについての学び-1

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2024年9月20日

イエス・キリストについての学び-1

聖書の基本  聖書の重要な教理 パート4A

https://ichthys.com/4A-Christo.htm

キリスト論 イエス・キリストの研究

ロバート・D・ルギンビル博士著

受肉された神の言葉、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストのユニークな御姿と御業。

万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子(イエス・キリスト)にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。 (コロサイ1章16-17節)

シリーズの内容  聖書の基本 聖書の重要な教理

第1部:神学

第2部:天使論(A);終末論(B)

第3部:人間論(A);ハマルト論(B)

第4部:キリスト論(A);ソテリオロジー(B)

第5部:聖霊学

第6部:周縁論(A);教会論(B)

第7部 聖書学

第4部Aの内容

I. イエス・キリストの人格

                1.  イエス・キリストは真に神

                2.  イエス・キリストは真に人間的

                3.  イエス・キリストは真に唯一

                4.  イエス・キリストの名前は、その完全な人格と完全な御業を反映している

                5.  イエス・キリストの生涯

II. イエス・キリストの救いの御業

                1.  救い主の必要性

                2.  イエス・キリストの身代わりの死

                3.  無制限の贖罪

                4.  キリストの血

                5.  キリストの霊的死

                6.  贖罪

                7.  贖い

                8.  義認

                9.  和解

                10.  救いをもたらすキリストのわざのまとめ

はじめに : この種の研究は、神の言葉が、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストという生ける神の言葉のあらゆる側面を扱っているため、必然的に完全なものにはなり得ません。 聖書と、その縦糸と横糸を貫く基本的真理の完全に統合されたタペストリーをよりよく理解すればするほど、イエス・キリストが聖書の理由であり、聖書は神の言葉であるイエス・キリストについてのすべてであるという、この一つの本質的真理がより鮮明になります(ヨハネ1章1-14節)。 ですから、この研究の目的は、私たちの救い主、その唯一無二のお方、そして私たちに代わってなさった救いの御業に関する聖書の主要なテーマを説明することに限定されなければなりません。 イエスは真理であり、道であり、命です(ヨハネ14章6節)。聖書全体の証言の基本的な本質は、イエスがどのようなお方であり、私たちのためにご自分のいのちそのものを捧げてしてくださったかという、イエスについての神の啓示です(黙示録19章10節)。 すべてのものは、私たちの主イエス・キリストによって、また彼のために造られました(コロサイ1章15-18節)。 主は、被造物の歴史のすべてに対する神の計画全体の礎石なのです(エペソ3章11節[1]。神に立ち返る全人類の救いと、(人間を支配していた)悪魔に対する勝利は、私たちのために主がご自身を犠牲にしてくださったことによって勝ち取られたものであり、他のいかなる方法でも勝ち取ることはできませんでした(コロサイ2章14-15節)。

ですから、イエスは私たちの究極の希望であり(コロサイ1章27節)、最高の愛であり(ピリピ1章21節)、信仰の唯一の対象なのです(使徒行伝4章12節)。 イエス・キリストは私たちのいのちです(コロサイ3章4節)。 この方においてのみ、私たちは来るべき復活と永遠のいのちを完全に分かち合うことができるのです(第一ペテロ1章3-4節テトス3章6-7節参照)。 イエスがおられなかったら、私たちは全人類とともに失われていたことでしょう。 イエスがいなければ、人類の歴史も、私たちの人生も、本質的に無意味で無価値なものになってしまいますが、イエスにあって、私たちは永遠のいのちと大きな報いを待ち望んでいるのです(黙示録22章12節)。 イエスなしでは、この世は辛く、冷たく、苦しい場所ですが、イエスにあって、私たちは無限の喜びを味わっています。なぜなら、イエスの花嫁である教会の親密な永遠のメンバーとして、私たちはイエスのために存在し(ローマ8章8-39節; エペソ1章9-10節; 第一コリント8章6節; 第二コリント5章14-15節; ガラテヤ2章20節; コロサイ1章17-20節; ヘブル12章2節参照)、永遠にイエスと共にあるからです(ヨハネ14章3節)。 私たちは、生まれながらにして、すべての堕落した人間と同じように、怒りに満ちた生き物であり、死を宣告されていますが、イエス・キリストの犠牲によって、私たちは罪から贖われ、この世のあらゆる表現や理解を超えた栄光に満ちた素晴らしい永遠を主人と共にするのを待ち望んでいるのです(黙示録21-22章; ヨハネ14章1-3節参照)。 私たちは主の敵であり、称賛するものは何もなく、主に捧げるものも何もありませんでしたが、主は十字架上で私たちのためにすべてを与えてくださいました(ローマ5章8-10節)。 私たちに代わって犠牲となられた、私たちの主であり救い主であられるイエス・キリストという、言葉では言い表せないほど素晴らしい賜物について、神に感謝します(第二コリント9章15節)!

<-2に続く>


[1] パート5、『サタンの反乱:裁き、回復、そして置き換え』II.1、「人類の歴史における中心的な人物」参照。

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