神の作品

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2024年9月13日

神の作品

ある人が、他の人が持っているものについて、羨む誘惑に駆られた時、こう思ったそうです。「私には、主がいる、そして神の子だ。この世にある今しばしの間、人が持つものを自分が持たないとしても、あらゆるものを神から頂くことになっている相続者だ。世の人達はそれらのものを求めて得ても、幸せではない、憐れむべき人達もいる…」と。

 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 (ローマ8章17節)

 主の子であり、主を喜ばせたいと思っているのに、どうして苦難、試練、続きなのか…と思っている人がいるなら、もしかしたら、その人はキリストと苦難を共にするように召されているのかもしれません。そして苦難を共にしているなら、「キリストと共同の相続人」となるのです。あるいは、あなたがこれからすることになる「よきわざ」のためにあなたを備えるために、苦難が用いられているのかもしれません。

 私たちは恵みによって救われましたが、「神の作品」として神が用いる御計画があります。神の作品という以上、神は、私たちを練り上げられます。 

…主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。 (イザヤ64章8節)

わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 (エペソ2章10節)

 つまり、主を愛する私たちに、主が起こして下さること、通過させられることは、主の良き御計画のため、主の御心とタイムラインに沿ってなされていて、主は、良き管理者であられ、私たちをよく知っておられて、適材適所に配置される方、あるいは適材にするために手入れをされる方です。

 主のなさって下さること、またなさろうとしていることを信仰によって受け止め、感謝することができますように。

あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。

…わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。

…わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。

…陶器が陶器師と争うように、おのれを造った者と争う者はわざわいだ。粘土は陶器師にむかって『あなたは何を造るか』と言い、あるいは『あなたの造った物には手がない』と言うだろうか。 (イザヤ45章3,5,7,9節)

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