荒野で

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2024年9月10日

荒野で

世界は、おそらく「不法の秘密の力」のため、そして滅ぼす者の台頭の時期が迫っているため、ますます、不安定になり、荒廃していくことが、聖書の預言からわかります。「国は国に、民は民に対して立ち上がる」などマタイ24章参照。そうした今までの世界観が崩壊していくとき、悪魔のやりたい放題となる環境ができあがります。

 今まで存在していた法や権威は、神よりのもので、それは秩序のためですが、それが「不法の者」によって、好き勝手に変えられていくことになっていくのを私たちは見ることになります。(もうすでにいくつも見ていますが、それがますます多くなることでしょう)。

 私たちの信仰が規則や組織に依存している場合、集会所、あるいは礼拝所が閉鎖され、集まることが規制されてきた場合、また信者であることが、自分に人々からの憎しみを買うことしかない場合(神は、反対に沢山励ましと慰め、そして導きを与えられことでしょうが)、そのような困難に遭遇した場合、簡単に萎えてしまうでしょうか?

 主は、かつてイスラエルの民を約束の地に導かれる際に、40年の間、荒野を彷徨うことをさせました。そこで、神の力と、真実と、聖なること、信頼することなど、多くを学ぶことになります。そこには、頼るべき、以前の生活習慣はありませんでした。エジプトの食物も、しきたりも、何もなく、ただ頼るは神のみで、水もない地で神を信じ従うということでした。しかし、神がおられれば、それで十分であることをイスラエルの民に教えようとされていたのです。

 残念ながら、神様の幾度にもわたる、忍耐と戒めにも関わらず、イスラエルの心から不信は取り除けられませんでした。そのため、モーセに率いられた最初の世代は、信じ従う二人の勇者ヨシュアとカレブを除いては皆荒野で死に絶えたのです。約束の地に入ったのは、神によって裁かれ死に絶えたのを目にしていた次の世代だけでした。       

 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。 (第一コリント10章10,11節)

 万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。(第一ペテロ4章7節)

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