主のいつくしみは、いつまでも

主のいつくしみは、いつまでも

今朝、導かれて、今泊まっている場所の近くの大きな公園に散歩に行くことにしました。そこを散歩するのは久しぶりです。しかし、驚いたことに、もう丈がかなり高くなっているのに、草刈りはなされていないのです。以前この公園の広大さとその広がる芝生を楽しんだ場所でしたが、これでは、中に入ることもできません。もしかしたら、予算が公園の芝生の手入れに回らなかったのかもしれません。それを見て少し寂しい思いをしながら、私たちの田舎の裏山の公園のことを思っていました。市からの予算はもともとなかったのですが、ボランティアの方たちと一緒に公園の整備と草刈りをやっているのを知ったある市の職員さんが、退職するに当たって、わずかながら公園の草刈り代ために予算が下りるように取り計らってくれたのを聞きいたことがあります。そうしたこともあり、私はもう体力的にもあまりかかわれなくなりましたが、息子や他の若者たちが何とかそこの維持をして、少なくとも草は刈られた状態にしてくれています。これもたくさんの人達の愛や思いやりのおかげです。祈りと証で始まったことは言うまでもありません。主のために踏み出すことは、実をもたらしてくれます。<この学生ボランティアさんたち、わざわざ、遠く私たちのところに来て、冬は雪かき、夏は草刈りに来てくれていたのです>

 そして、先日のS君の葬儀で再会したWさん(ボランティアに来てくれていた女子学生だった子、今は主婦)が、メールを送ってきてくれました。息子が私のところに転送してくれたのですが、再会できたこと、そして、その時私から受け取ったトラクトや冊子を全部読んで、感動したこと、はかない人生でもっと愛を大切にしたいことなどを伝えてくれていました。実はこのWさん、初めての草刈機をうまく使って、私たちの公園をかなりきれいにしてくれたのです。

 長い年月にわたって、神様が一つ一つのことを用いて、人の魂に働きかけておられること、そして物事は移り変わるけれども、主のためにしたことは、いつまでも残るということを、改めて考えさせられました。

 

  主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、われらの不義にしたがって報いられない。 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、 東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。 父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。 主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。 しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、 その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。 (詩篇103篇10-18節)

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