主を喜ぶこと

主を喜ぶこと

私たちは、今もこれからも、自分たちの力では到底太刀打ちできない事態に直面しています。かつてなく今後もないような患難を迎えようとしています。

その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 (マタイ24章21節)

しかし、これらの預言されている患難は、私たちを驚かし、怯えさせるためのものではありません。主は言われます。

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 (ヨハネ16章33節)

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(ヨハネ14章27節)

悪の勢力は、私たちが肉の力に頼り、肉で奮闘するように誘惑します。しかし、私たちは、神にしていただくために静まることが必要です。

主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。 (イザヤ30章15節)

イザヤ30章15節の最後には「しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。」と悲しい言葉が添えられてあります。続きには、こうあります:

「かえって、あなたがたは言った、「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。それゆえ、あなたがたはとんで帰る。また言った、「われらは速い馬に乗ろう」と。それゆえ、あなたがたを追う者は速い。 ひとりの威嚇によって千人は逃げ、五人の威嚇によってあなたがたは逃げて、その残る者はわずかに山の頂にある旗ざおのように、丘の上にある旗のようになる。」(イザヤ30章16-17節)

静まることを知らず、自分の力、あるいは力ある人の腕に頼ろうとする者は、その恐怖の闇から救われることはありません。

しかし悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができないで、その水はついに泥と汚物とを出す。 (イザヤ57章20節)

神こそがその解決策となろうとしておられるのです。それに気づいて、主に救いを求める時、救われるのです。

それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。 (イザヤ30章18節)

シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。 (イザヤ61章3節)

…主を喜ぶことは、あなたがたの力です。(ネヘミヤ8章10節)

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